男色と幻想の近代

同性愛については、江戸末・明治の中頃までの肯定的な評価と、戦争を挟んで現在まで続く否定的な扱いの落差が、実は以前からかなり疑問でした。

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ホモフォビアのタブー

いやだって、武士の情緒的連帯と言う大正義!から、近代の非人間扱いまで、たった十数年でどうしてこうなったっていうくらいの大幅な変化ですよね?

大河でいうと、「平清盛」で描かれた摂関家と中流武家貴族との政治的連帯としての男色、昨年の家康・直政の寵童エピの際に前田利家と高坂弾正も被弾した主従の契り、そして今年の「西郷どん」では吉之助と月照さん(明確な描写はなかったけど)。

万葉時代から数えたら1000年以上、寛容だった日本の性管理が、100年に満たない間に反転したわけです。

これはやはり近代化によって生じたものであろうとか、

同時期に女性の貞節の管理が非常に厳しくなったこととも無関係とは思われない、

などなど、なんとなく考えては思考停止していた疑問を、「男色大鑑」コミカライズの監修をされた茨城キリスト教大学の染谷智幸先生に質問をお送りしてみたところ、お返事をいただきまして、

近代のホモフォビア等の性的タブーと女性の貞節は大いに関係があります。

要するに性的管理の問題ですね。

近現代がどうしてそうした管理に力を入れたのか。

キリスト教やイスラム教は前々からありましたし、そうした性的タブーの思想を持っていましたから、それが原因ではありません。

私は、他の方々も言ってますが、国民という一枚岩的な共同体的意識を近代国家が生みだしたからだと思います。

性的乱れのない良き個人→良き家庭人→良き市民・国民という完全な共同幻想ですね。

昨今話題の優生保護法などの問題も同根だと思います。

ただ、これはまだまだ検証が必要な問題で、とくにアジアでは重要だと思っています。

今までのものは大体が欧米の理論だからです。

性的に比較的(注:現代との比較ではなく、あくまで当時の他地域との比較)緩やかだった日本やアジアが、どのように近代の幻想に巻き込まれて行ったのか、ここはまだきちんと検証されていないからです。

その検証過程に「男色」は重要な意味を持っていると思います。

注:
ブログ掲載の許可をいただいてます。転載不可です。あくまで先生のお考えの一端で、素人の質問に答えてくださったものです。

近代化の中で、同性愛は「生産に関わらないもの」「生産を妨げるもの」としてタブー化していったという先生の示唆は、近代的な豊かさというものが決して多様性を許すものではないということのように感じられ、生産の影の部分と言いますか、死へ直結するものとして厳しくタブー視されることの恐ろしさを改めて感じてしまいました。近代怖い。

男色が教育の力ももちろんありますが、近代化、国民国家との形成という共同幻想がどれだけ当時の人に強力なものであったのか。

いや当時の人だけじゃないですね、今も我々は近代の幻想の只中に生きていますから、何がどうなってこうなっているのか、どうなっていくのか全く人ごとではありません。

現在我々が手に入れはじめているのかもしれない性の多様性は、この「近代の幻想」とどのように関わっていくのか。

幻想からの脱却の前触れなのか。揺り戻しに過ぎないのか。

様々検証がまたれますね。

あ、4/25放送のヒストリアで揶揄することなく真摯にジェンダーや愛を語っていてすごく感激したのです。

染谷先生、掲載の許可をありがとうございました! 「男色大鏡祭り」楽しみに伺います!

ちなみに8月の「男色大鑑祭り」の申し込みフォームに「質問コーナーの募集かな?」と気楽な気持ち書いた質問だったのでした。お返事をもらってなんかブワッと世界が広がった。

あと先生によると中国は日本以上の男色大国だそうなのですが、学生時代中国語と中国文学を学んでいた私でしたのに、残念ながらそれらしいものを引き当てたことがありません!なぜだ…文学じゃないのか? それともあれか、辺境に任官する友を見送る詩をそう言う風に解釈するべきだったのか??などなど今になって考えたりして楽しい。

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