#おんな城主直虎 総評2 重奏的なマルチプロットとケミストリー。

ここからは褒めちぎりますよ!

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明快で重奏的な脚本

今振り返れば、「おんな城主直虎」はとても明快に描かれた物語でした。

第1クールでは「おんな城主」が誕生した経緯を、

第2クールでは彼女の成長と井伊谷の復興、彼女を支える男たちとの出会いや関係性を描き、

第3クールでは今川の凋落、徳川の勃興、井伊谷の苦難と再生が、

第4クールでは次世代の育成が描かれ、目的を引き継いで主人公が退場していく。

いや、こうして整理すると非常に明快なんですけれど、放送中はこんなに明快には見えないんですね。

特に第2クールは、様々な出会いと絡みと主人公の成長というマルチプロットに、今川の弱体化という外的要素と苦悩する今川氏真の描写が絡まるという、大変複雑で重層的な脚本になっていました。

しかし、表面上は楽しい乙女ゲーっていう…

スイーツ大河、乙女ゲー大河を存分に描写しながら、刻々と間違いなく滅びに向かっていくわけです。

このあたりに気がついたクラスタが一斉に「森下脚本怖い」と震え上がっていましたが、わかりみしかない。

第3クールではそれらのプロットがベールを剥ぐように後退していき、今川・井伊・徳川の物語という主題が浮かび上がり、物語最後のクライマックスである「本能寺の変」が、(明智と)今川・井伊・徳川の共謀という真相と同時に、物語の主人公が実はこの3人であったことが明かされるという、構造の見事さには呆気にとられました。

無名の人物が主人公だから視聴率が悪かった、ということを言う人がいますが、わたしは全くそうとは思わない。

むしろ、無名の人物が主人公だからこそ先の見えない複雑なプロットを構成し、ストーリーテリングの芸を発揮できた、の方が正しいと思います。

無名の人物の人生なので、展開が予想できなかった。先が読めないから目の前の物語に集中せざるを得なかった。

メジャーな人物が主人公だった場合、こうはならなかったのではないか、と思います。

時間の使い方と後始末

あとですね、やっぱり面白いなーと思ったのが時間の使い方ですね。

これまでの大河ドラマだと端折っていた、流していた、事件が起こる前段階を丁寧に丁寧に描き、そして後始末もきっちり描くので、あれw と思うことが多かった。

事件そのものの描写には抑制をきかせて、事件の前後を丁寧に展開し、描写した。それによって時間の流れにリアリティが生まれた。それが物語全体に波及したと思います。

それと要所要所で、きちんと視聴者の気持ちを切り替えるセリフが入るんですよね。「過去の恨みを持ち続ける贅沢は許されない」みたいな。

時間の使い方と後始末のよさ、フラグ立てと回収の繰り返しと相まって、とても心地よいリズムになっていきました。

あれが制作スタッフの総力なんだろうなあ。

序盤はシングルプロットでおぼつかなかったと思うんですが、中盤以降はどんどんケミストリーを起こしていったのも、目を離せなくなった理由ですね。いや、ほんと面白かったです!

あとキャストについてもうちょい書きたいので、多分あと一本くらい書くつもりです。

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