40回「天正の草履番」直政の下積み。新規人材の導入による組織の活性化?

地獄の鬱回を過ぎた後は、とある歴史的人物の一代記から、リーダーの物語・組織づくりの話が表面に上ってくるのは、新しい大河「あるある」かもしんない。

ちょっと前まで人余というか、人件費を削ることを(経営の)合理化と呼んでいた時代から、人不足の時代への変換という現代を反映しているのかな。

などということを思いながら見た40回。

久々の雑感レビューなんで、サクサク行って見ましょう。

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世代の相克

井伊の者として、徳川家の草履番を申しつけられた虎松と亥之介(万千代と万福)。

本人たちは地位の低さにめげず、井伊家の再興という目的のために必死ですが、彼らを取り巻く大人たちの思惑は様々です。

直虎(おとわさま)は、松下家に六左衛門やなつ・亥之介母子(とその家臣たち)、近藤家に中野・小野と、かつての家臣たちを引き取ってもらい、さらに村の名主的な立場で近藤殿とは社会事業のパートナー関係でうまく行っており、現状変更勢力である虎松の行動を受け入れられません。

生きている者たちにとっては迷惑千万と、厳しい言葉で虎松の行動を止めます。

この下りで面白かったのは何と言っても常慶と南渓和尚ですね。

南渓は井伊家が取り潰された時は「虎松君に松下家を差し上げるくらいしか、お詫びする方法がない」と殊勝なことを言っていたと思うんですが、その辺は忘れたというか、心が変化したというか、虎松にすごく子供っぽく怒るんですね。

草履を投げ捨てて「拾っとけよ」とやったりして(ww)

井伊が取り潰されてからの時の流れと共に、虎松が松下でいかに猫を被っていたかも伺えて大変楽しかったし、直虎に虎松の説得を頼んで浜松まで連れて行くのもちょっとせこいというか、才覚はあるけれど、押し出しが強いわけじゃない彼の個性がよく出てましたね。

南渓和尚の方は「井伊が再興すると聞いて嬉しいのはないのか?」と悪魔の問いかけが最高でした。

つまり「一度も罪を犯したことのないものが、その女に石を投げなさい」ですね。

これを聞いたしのちゃんが、「当節は禅僧と書いて人でなしとお読みするのですか!」と一瞬で喝破するのかっこよかったですね。笑っちゃったけど。

しのや六左、直虎も、松下家や近藤家へのしがらみと後ろめたさから自分で自分を縛りつけて望みや可能性を否定しようとします。

自分たちが形作ってきたものを子供が受け入れなかった時の大人たちの怒り。

大河ドラマの(というか日本のドラマの)大きなテーマである、親子世代の相克の今年の表現ですね。

テーマの提示と許容

で、そんな感じに、枠の中の、予定調和のレールに子供を乗せようと多くの大人たちが考えている中、家康と、松下の父上がもうちょっと高い視点から人材育成について語ります。

家康は自分とこの家をどうやって運営するべきか、どうしたら虎松を武将としてよりよく育てられるかと言う視点から。

松下さんは父として子を送り出す時はどのようにあるべきか、という視点から。

さらに亥之介が虎松の代理として、子供の視点から行動の動機を語ることで、直虎は現状を受け入れます。

様々なテーマが直虎ちゃんによって咀嚼され、許容されることで、テーマの提示者が仲間になり、視聴者の同意を得ると言う構造は、直虎の平時パートのパターンです。

これを丁寧に続けたことで、視聴者が訓練され、密度の高いドラマに視聴者が耐えられるようになりました(耐えられてない)。

詰将棋みたいな脚本もすごいんだけど、演出が外してないのがすごいところですよね…

とポジティブに語って見ましたが、ネガティブに語ると、未来の可能性に賭ける大人たちのズブズブであります。

これはこれで楽しく拝見いたしました。はい。

それはそれとして草履投げ

虎松が、大人たちを納得させるには草履番を勤め上げるしかない、と真剣に取り組みすぎて草履投げをうっかり極めちゃうところは完全にギャグでした(ww)。

でもこのギャグで、下積み時間の表現を短縮してるんですよね。

優れた大河ドラマにおけるギャグの使用には要注意だなあ。何かしら意図がある…

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