お待たせ!6.24講演会「教えて平山先生 質疑応答コーナー」まとめ

6.24講演会では、質疑応答コーナーのために平山先生への質問を募集いたしました。

たくさんの質問をお寄せいただき、おかげさまで質疑応答コーナーまで好評をいただくことができました。誠にありがとうございました😃

大変遅くなり恐縮ですが、ご報告とお礼も兼ねて、まとめさせていただきますね。

※質問は類似するものはなるべくまとめさせてもらいました。
※先生にお聞きする質問は私の方で選別させていただきました。
※先生からの回答は、ご発言そのままではありません。読みやすさと、テキストとしてずっと残ることを考慮して、かなりリライトさせてもらってます。ご承知ください。

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先生の武田氏推し武将(武田)は?

類似質問:この人の下で働いてみたいと思う武将はいますか。その武将の下でどんな仕事をしたいですか、など。

回答:

真田昌幸って答えるとベタなので、山県昌景って答えたいんですけど、厳しそうなので、馬場信春(注:真田信尹とは婿舅の関係です)

(山県昌景配下の)赤備えは派手で、ごまかしが利かない。さぼっていたり、逃げたりするとすぐ分かるので厳しい(笑)。

馬場信春は非常に部下思いで、部下が彼を捨てて逃げなかったと言われているので、僕は馬場信春推し。他の武将さんごめんね

いつ頃何が起こったら、武田氏は生き残ることができたか

類似質問:なぜ武田氏はあっけなく滅びてしまったのか、勝頼は武田氏を残すことはできなかったのか、武田氏は滅んでいなかったらその後の歴史はどうなっていたか、など。

武田クラスタからの魂の叫びが。

回答:

が聞きたい(笑)。

歴史にifはないけれど、信玄が早く死んだのが全て。

本能寺の変よりも早く信玄が死んだ。でも多分、武田が滅亡しなければ、本能寺の変はなかった。

歴史はこういう運命の連鎖によって成り立っている。

勝頼公が官位を得られなかったことは、統治にどのような影響を与えたか

回答:

かつては、官位の有無が統治に影響があったんじゃないかっていう説もあったけど、あまり関係なかったのではないか、というのが僕の見解です。

室町幕府を通じて、天皇から官位を与えられなかった武将は実はたくさんいる。

戦国の前期、まだ幕府体制がある程度有効に機能しているときには、官位っていうのは非常に大きく機能していた。

それが自分の力量を持って国を支配していくという時代になると、官位は機能しなくなって行く。ほとんどの武将の官位は「自称」。

勝頼継室、北条夫人の有名な願文についての先生の見解を聞かせてほしい

※「北条夫人の願文」とは、天正10年に北条夫人が武田家と勝頼の安泰のために武田八幡宮に納めた祈願文。北条夫人の自筆とも言われている。

回答:

鑑定をするにしても比較検討の対象がないので厳しい。

実は願文の内容が、室町時代の軍記物語の一部と内容が似ていることが、ある程度分かっている。作られた可能性は極めて高い。

だから今回の『武田氏滅亡』でも、「そういう願文を出したといわれているけども」という書き方しかできなかった。

残念ながら偽物の可能性が高い。

武田氏滅亡後の勝頼異母妹、松姫について

回答:

まさに八王子、ご当地のテーマですね。

松姫は信玄の五男・仁科盛信と同じく油川夫人から生まれた女性。

武田信玄の娘の中で数少ない、名前(本名)が分かっている女性で(あともう一人は、上杉景勝の正室の菊姫)、武田家滅亡のときに、新府城から脱出したということは、『信長公記』にも記録が出ている。

その後は確実な記録がなかなかなく、元八王子の信松院の記録などを見ると、武田氏滅亡の時は、勝頼の娘と、そして仁科盛信の娘、そして小山田信茂の娘を連れて、八王子に脱出して、命をながらえた。

武田家滅亡の後、実は織田信忠から迎えが来たという記録がある。

(注:織田信忠は松姫の婚約者。晩年の信玄は信長と同盟を結ぼうとしていました)

その迎えに連れられて、尾張まで行ったところで本能寺の変の知らせを聞いて、むなしくこの八王子にまた戻ってきた。

そこで尼になって生涯を終えた。

面白いのが、保科正之との関わり。

二代将軍徳川秀忠の正室、淀殿の妹の江が嫉妬心が強かったということで、秀忠の妾腹の子を、信松尼・松姫と、穴山梅雪の妻の見性院(信玄の娘、勝頼の姉)が秘かに引き取って育て、勝頼との関係が深い高遠の保科のところに養子にやる。

これが会津藩の初代藩主、保科正之になったというとても有名な話がある。

このへんは大河ドラマにしてもいいのでは?

先生にとってズバリ武田勝頼とは?

回答:

武田勝頼と出会わなければ、僕は歴史学者に間違いなくならなかったと思う。

武田氏滅亡っていうようなことを小学生のときに調べて、課題として提出したりした。それをずっと引きずってていた。

本格的に史学の勉強に入ったとき、人物史や政治史は軽く見られていることに気がついたが、やっぱり、いつかは解き明かしてみたいと思っていたのは、『武田氏滅亡』のあそこだった。

そういう意味では、本当に子どものときからの、宿願が達成されたというふうに思っている。

本の読み方、選び方

まず歴史初心者へのアドバイス

回答:

自分が興味があるところ、ある人物、まず取っ掛かりがあるところから、小説でもなんでもいいから本を読んでいく。

そして徐々に、小説はフィクションだと割り切っていく。

何を読もうが、何を勉強しようが大丈夫。

ただし、本を読むときには必ず、批判的な視点で読んでほしい。

誰が書くものであっても、この人の言っていることは本当に正しいのか。彼の言っていることの根拠は何かっていうことを、ずっと問い続けながら読んでほしい。

それが迷ったときの最後の勘どころです。

次に歴史中級者へのアドバイス

回答:

他にも素晴らしい本があるが、吉川弘文館の歴史文化ライブラリーが秀逸。

あと、呉座ちゃんの「応仁の乱」を出版した中公新書。

中公新書は地味に見えるけど、これまで着実に作ってきたことが、今、花開いていると思う。

あそこから出る本、すごくいい。今新書で一番面白いのは、間違いなく中公。

歴史学を志す大学1年生にアドバイスを

「史料を正確に解釈し、内容を吟味できるようになるには、具体的にはどのような勉強をすればよいのでしょうか」

回答:

研究者の根拠は史料。つまり古文書と古記録。

それを正確に読めるように、常に訓練をしていくこと。

古文書とか古記録は、今の私たちにとって外国語と同じ。辞書をひいて、常にメモを取る習慣をつけること。

論文や著書には、最後に注があって、根拠となった原資料が書かれている。その原資料を読んで、(最初に読んだ著書と)読み比べてみる。

その地味な積み重ねがいつか花開く。

それから楽しみながら勉強をする。

歴史が好きなら、それだけでどんどん行ける。千田嘉博先生のように。(注:同級生だそうです)。

なお、一般書には原資料の表記はないことも多いそうで、新書に初めて原資料を載せたのは平山先生だそうです。

歴史研究において、伝承を分析するときの心構え

回答:

伝説は伝説です。まず割り切ること。伝説を根拠にして立論してはいけない。

ただし、史料と伝承は一致するときが時々ある。そういう時は大事にする。

その地域の人たちが培ってきた、地域の歴史を大事にしてあげるというのも、われわれの義務。

そういう話が伝わっているのは事実だから、頭ごなしに否定しないこと。

僕はそういう面白い話があると、一般書の場合はできるだけ「こういう伝承があるんですよ」「ただ、証明ができませんけれども」という言い方で言及する。論文ではやらないけどね。

ただ、あまりに荒唐無稽なのはちょっとね(笑)

『武田氏滅亡』という大著を書くに至った経緯や心意気

類似質問:一番力を入れて書いたのはどこか。また難しかった箇所、その理由を教えてほしいなど。

回答:

書いていたらいつの間にかこんなになっちゃったっていうのが、正直なところ。

実は雑誌連載で、出来上がっていたのは、あの『武田氏滅亡』の半分ぐらい。

残りの半分は、熱にうなされながら、とにかく、何かに取り憑かれるように、2カ月で書いた。

もう最後は、何かが降りてきたとしか思えなかった。

一番力を込めて書いたのは、やっぱり『滅亡』の『第九章』。

研究費が3億円あったら?

回答:

全部、本を買いたいって言いたいんですけども、自分の書斎の書庫がもういっぱいなので、3億円あったら、書庫を増築したい。

その上で、本をたんまりと買い込みたいと思います。

情熱大陸からのオファーはまだ?

回答:

ないです(笑)。

歴史学者でオファーがくるのは、磯田先生と、あと間違いなく呉座先生だけでしょう。

平山先生と荒木飛呂彦先生だけは、なぜ時の流れに逆らうことができるのか

回答: 

自分でもよく分からない

家族からは「苦労が足りないからだ」って言われている(笑)。

魚料理が好きだから、それでかな。

『真田丸』の時代考証について

先生がぜひ実現したかったこと、残念ながら見送られたことなどがあったら教えてほしい。

回答:

今日NHKのプロデューサー来ているので答えられない(笑)。

依田信蕃っていう武将を出したかったけれど、昌幸と活動が被るのでできなかった、勝頼をもっと長く出してほしかったなど、心残りは色々ある。

今から三十年前、『武田信玄』の時代考証のアルバイトをしたこともある。

名前が載ったのは「真田丸」が初めでだけど、とにかく楽しかった。また大河ドラマに関われたら嬉しい。

元亀3年、1572年頃の武田氏の強さについて

大河ドラマ『おんな城主直虎』の武田氏の遠州侵攻を前に、武田の専門家に聞いてみました。

回答:

元亀3年の武田っていうのは、対徳川、対織田、双方に圧倒的に有利だったというのは事実。

信玄が元亀3年の10月に甲府を出発して、家康の領土に攻め込む。そこから、翌年の4月まで、武田の軍事行動が徳川領で展開する。

それによって家康は領土の1/3以上、半分近くを失う。信長の後押しがなければ滅亡していたかもしれない。

長篠の敗戦の直前までは、武田は、圧倒的優位にあったのは間違いない。

だから、かえすがえすも、(勝頼が)長篠で決戦に踏み切ってしまったというところが悔やまれる。

歴史研究で面白いと思うところ。また、大切にしていること。

回答:

研究の何が面白いかというと、分からないことが分かるようになることが最高の快感。

大切にしていることは、自分のドキドキ感とか、自分が面白がっていることが、相手に伝わるようにすること。

こんな分厚い本なのに、「なんかスラスラ読めました」とか、「楽しかった」「面白く読めました」って言ってもらうのは、とても嬉しいこと。

自分が分かっていないこと、あるいは中途半端にしか理解が及んでいないこと、あと楽しめないことっていうのは、相手にすぐ伝わる。

文章は怖い。その人の知識や教養が全部見えてしまう。

歴史や、研究は、甘いものではない。怖いものだからこそ、自分で面白いと思えない研究は研究じゃない。

面白いから研究なんですよ。

ということで、事前にみなさんからいただいた質問のおかげで、先生から様々なお答をいただくことができました。

ありがとうございました😇

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コメント

  1. 武信玄 より:

    地域の伝説を否定するのかと思ったが、暖かく見守っている姿勢に共感しました。