22回「虎と龍」煩悩する直虎とどうしてもその視界に入れない小野政次の修行。

乙女ゲー展開にワクワク大笑いしながら観ているけれど、恋愛ドラマではなく、女性城主の感情生活を丹念に描写しているだけだと思っている。

結婚もせず、子供も生まずに母になった女性の煩悩をなかったことにしない。

大ざっぱだけど人をちゃんと愛することができる人、直虎のキャラ造形枯らしても、煩悩を無視してストーリーを進めるのはおかしいよね。

乙女心と煩悩、ぶっちゃけていうと恋心と性欲に翻弄される女性を、描きにくいところから逃げず、生々しくしかし厳しく愛情を持って描いていると思う。

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女主人公の感情生活

「おんな城主 直虎」は泥まみれで階段を登る女性の姿を描くという点でずっと一貫していて、主人公の直虎ちゃんは1cmも下駄を履かせてもらえない。

なぜか大河では、身分が高くなっても時に泥まみれ埃まみれ、畑仕事や家事が好き!なヒロイン像で、親しみやすさや健気さを表現するのがテンプレ化してるんだけど、直虎ほど泥まみれの主人公っていない。

もちろん文字通り、田植えや荷運びもさせられているし、それに加えて歴代ヒロインが免除されてきた、煩悩(肉欲)まできっちり描かれる過酷さですよ。

「井伊谷の竜宮小僧になる」「カビの生えた饅頭になる」という無私の奉仕の精神を薄っぺらいものにしないために、直虎は生身の女性であることをきっちり表現しないといけない。しかしそれにしても過酷。

過酷なところの描写が、鋸引き=セックスの暗喩という趣向を凝らされているところには制作側の愛を感じるけれども。

政次の修行

で、そんな直虎の過酷な修行に付き合わされている政次の相方感も結構シャレにならなくなってきたなーと思ったのが22回だった。

主に政次の場合は「男として直虎の視界にどうしても入れない」修行を強いられているんだけど、政次の面白いところは、多分本人だけが初恋を(何度も)捨てたつもりでいるところかな。

それなのに、直虎の煩悩が龍雲丸相手に割とあっさり発動してしまって、初恋という名の地雷の釜に火が入るわけですよ。でもまあ、彼がもう一段成長するためには、嫉妬を再体験することが必要だったよねー。

政次さんの退場まであと少しだけど、彼のは死がただの悲劇として扱われるんじゃなく、ちゃんと直虎への思いと向き合うシーンも用意されていると思うので、バスタオル用意してまつわ。

多分あと二ヶ月もない…

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