19回「罪と罰」傑山ニキの吐露。

今回は筋肉と知性・傑山さんに焦点を合わせたいと思います。

19回を見て、この人はもしかして真田昌幸枠かもしれないなあと思ったんですよ。

まずタイムラインの沸き具合が似ていますよね。

昨年、私は昌幸パパについて、日本の男性のロールモデルを一段引き上げるものとして書きました。

関連リンク:
「迷走」真田昌幸という、知的でタフ、愛情深くてサレオツな父親という新しい理想の男性像が、多分日本を変える。

昌幸が父親としての男性像と望みを持つ個人としての男性像を両立させた(一応)生身の男性のモデルでありましたが、傑山はもう少しファンタジーに寄った理想像を担っていると思います。

彫刻のような美しい肉体に宗教性に基づく精神性の持ち主と言う2.5次元キャラです。

視聴者としては筋肉に目が行きますが、この人の最大の特徴は自己主張することの少ない穏やかな人柄ですね。

傑山ニキが、長いこと娘のように見守ってきた直虎への気持ちを、明日にはおそらく死んでいるだろう盗賊にぼやいてしまうのは複雑な味わいがあってよかったと思います。

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直虎の幸せ

傑山てあんまり自己主張のないキャラで、南渓和尚にも直虎にも服従…と言うわけじゃないんですけど、あんまりあーだこーだ言わずに仕事をしてくれる、職場に一人いると周囲がすごく助かるタイプ。

昊天さんの穏やかで凛とした風情もそうですが、兄弟子コンビはあっさり薄味で雑味がなく、内面の描写がされません。

ドラマではこの手のキャラが、ぽろっとこぼす本音は物語のキーの一つであることが多いのですが、今回の傑山さんもそうでした。

「直虎様はお家の為にしか生きていない」「直虎様の幸せとはなんであろうか」と多分明日にはもうこの世にいないであろうチンピラを相手に本音をこぼす傑山さんの、長いこと抱えてきたであろう憤懣というかやるせない思い、美味しかったです。

宗教者である傑山は父性の代行者であり、代行であるだけに実父直盛パパの「辻ヶ花を着せたい♡」よりもうちょっと高いレベルで直虎の幸せを考えるわけですね。

そして僧らしく自らとの対話で「あれは竜宮小僧であるから」と答えを見出すの、おそらく生きるだけで精一杯だったろう、人の幸せについてなんの言葉も持っていなさそうな龍雲丸(柳楽優弥)との対比が残酷でござった。

筋肉祭り

とまあ、そんな感じにしみじみした後半とは裏腹、19回の前半はちょっとびっくりするくらいの傑山祭りでした。

弓使ってましたよ、弓!

しかし、実在の人物である傑山を、主人公とどうにかなったりしない父兄枠の割と親バカキャラ、しかし劇中だいたい最強という2.5次元キャラにしたのは、市原隼人さんですね。

あのスキンヘッドは特殊メイクとのことですが、こんなに完璧に美しい武闘派のお坊様が出てくる大河など、誰が予想したでしょうか。

これも俳優さんが演じることによって生まれる化学反応的な何かであるように思います。

市原さんの存在感が、実在の人物である傑山さんを何か別のものにしてしまっている。

ドラマだけ見ていると、龍雲丸より2.5次元ですよ。

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