18回「あるいは裏切りという名の鶴」初恋という大河の地雷を超えて行く小野政次という男。

直虎が城主になってからはドラマの主題が、家臣集めと育成になってきています。

彼らは後々直政に引き継がれていくと思うと感慨深いなあ。直之も、六左も、直政を支えて行くことになる訳ですよ。

直之・六左・方久を家臣に取り込むのが13〜15回のテーマだとしたら、16〜18回は小野政次の家臣化というか、関係回復の物語でした。

(そして多分、19〜から柳楽優弥じゃなくて龍雲丸ルートかな?)

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義妹とその息子、という救い

いきなり切ないんだけど、小野政次は直虎から直政に引き継がれない。

しかし、多くの人が指摘している通り、小野道好と伝わる小野但馬守の名をこのドラマで「政次」としたのは、井伊直政に名前が受け継がれたことを暗示してもいるはず。

昨年の「真田丸」で、真田信幸の「幸」の字を捨てさせることで父子の社会的な断絶を表現するエピソードがあった通り、諱は人間関係を示すものですから、名前関連のエピソードにどんだけドラマが詰め込まれるのか。

もう一つ、政次と直虎には、なつを通じて亥之助が政次の気持ちを引き継いで行くという救いも用意されているのだと思う。

そのために義妹なつの理解と、暖かくて優しい、ほのかな恋慕がある。

これが暖かくて優しくて、鶴には美しい思い出の一つになるんだろうと思ってしまって辛いのだけど、なかったらもっと辛いのでなつさんを拝むしかない。

いやでもほんと何がどうなってこの結果に至るのか、その紆余曲折を描くというのは、史実というネタバレを持たざるを得ない大河ドラマの逆説的な長所よね。

ある程度ルートが見えていても、感情の積み重ねで想像もしていなかったものが見られるのってものすごく楽しい。

直虎はこれまでの大河ではさらっと飛ばしていた細部を丁寧に描いているようなので、小野政次の最期も想像するだけで辛いは辛いんだけども、やはり楽しみではある。

初恋という大河の地雷

で、それはともかくとして直虎との関係ですが、私には政次は「初恋に囚われた男」に見える。

人間の人生を描くとき、初恋というのは大きなテーマの一つだけど、大河ドラマはそれにことごとく失敗してきた。

むしろ大河における初恋は地雷要素と私は思っていた。

これは以前にもブログで書いたと思うんだけど、人間の生理的なところに向き合えなかったせいだと思う。奇妙に大河ドラマが教条ドラマ化してしまって、人間の生理的なところを描くのがどんどん下手になって、その結果、恋愛描写もおかしくなってしまった。

(というのが極まったのが「花燃ゆ」でしたね…)

真田丸である程度修正されたそれを、直虎も受け継ぎ、注意深くフィジカルを描いいる。

政次の、初恋に囚われて嫁も取らない男、美しい未亡人の義妹に興味を示さない男という奇妙な造形があまり気にならないのはそのせいだろう。

政次を初恋に殉じた男として描くなら、それくらい丁寧に描かなければ視聴者を納得させるものにはならないんである。

頭の切れる有能さと初恋にとらわれるロマンチシズムの両立というのは割とよく見る人物造形だけど、大河ドラマは史実における人の死に囲まれているから安っぽくならないのだということに、私も政次で気がついたよ…

こうして小野政次が、長いこと大河における地雷であった「初恋」を越えて悲劇に向かう人物像になったわけだけど、この政次の描写の分厚さはほぼ主役と言っていいのでは。

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コメント

  1. 寸田恭子 より:

    楽しく読ませていただきました。
    昨年から、ドラマの後SNSを見るのが習慣化しています。
    政次について私なりに考えてみました。
    (先にお送りしたのはボツにして下さい)

    1 アンチョビさんの記事の私なりの理解
    大河ドラマは、史実(結果)ありき。これまで、歴史上の人物の細やかな感情を表現することについては、教条化または失敗(特に初恋)してきた。
    直虎は、史実の少なさ(讒言、乗っ取り、処刑)を逆手にとり、そこに至る紆余曲折を丁寧に描く。このために小野政次は初恋に囚われた男として造形された。
    シナリオと高橋一生さんの繊細な演技の相乗効果で、引き込まれる分厚い心理描写が実現している。

    2 幼馴染との恋愛と直虎での活かされ方
    幼馴染とのハッピーエンドの物語はよくありますが、現実には少ないことについてはウェスタマーク効果という仮説があります。
    政次の直虎への初恋が成就しないのは、井伊家と小野家の身分差・確執の他、このウェスタマーク効果と整合的です。一方、直虎と直親の間にはジェネティク・セクシュアル・アトラクションが働いたと思われ、いずれにしろ、政次には勝ち目はないのです。直虎は、ここを外していないところもリアリティと「鶴が不憫」大合唱が起きる理由ではないかと思いました。

    3 愛と所属
    初恋の影になり目立ちませんが、小野家の立ち位置からくる軋轢を目の当たりにし苦悩していたであろう政次(鶴丸の時代)に、他者として受け入れられているという感覚を与えたのが直虎(おとわ)であったということがあると思います。(2話、父政直により直満が誅殺されたとき、おとわが鶴丸のしたことではない、と言ったくだり)
    これは、マズローの社会欲求と愛の欲求 (Social needs / Love and belonging)ですね。
    直虎は忘れているようですが、政次は少なくとも潜在意識に、この時自分がおとわによって承認されたことを記憶しているのではないかと思えるのです。

    政次の本意は初恋の他にここから生じているのではないでしょうか。

    参考(以下はwikipediaからの抜粋です。)
    ウェスタマーク効果とは、幼少期から同一の生活環境で育った相手に対しては、長じてから性的興味を持つ事は少なくなる、とする仮説的な心理現象である。

    霊長類やいくつかの他の哺乳類、鳥類でもウェスターマーク効果と見られる現象は観察され、例えばハツカネズミのウェスターマーク効果はMHC依存型であり、オスよりもメスの方が近親相姦忌避の傾向が強い。

    ジェネティック・セクシュアル・アトラクションは、離れ離れになっていた親族が再会した場合に起こる、近親者同士の性的魅力である。通常、子供が幼児期に共に育てられるときには、この現象はウェスターマーク効果として知られる逆の性的刷り込みによって回避されるが、距離を置いた場合はこのような現象が起こりやすい。

  2. アンチョビ より:

    >寸田さん

    詳細な分析をありがとうございます。おっしゃる通りと思います!
    直虎ちゃんは他者承認をけちらないところか、全力で相手を承認していくスタイルですが、それが男性陣にとっては大変な魅力なんだなあ。
    鶴の心理がこれだけしっかり設計され、描きこまれているにも関わらず、なかなかそれが伝わらない層が結構な数存在し、それはそれでミスリードのまま進んでいくというのが面白いですね。