日韓国交回復50周年。どうしたら日韓関係が改善するのか〈1〉

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6月22日は、日韓国交回復50周年でした。そこで、今更なテーマですけど「日韓関係」について妄想してみます。

私的には、どうしてこんなに日本で嫌韓が広まったのか、というのはすごく興味深いテーマです。

韓国の反日は、大韓民国という国を成立させるための物語として必要不可欠なもの。

しかし、日本にとって、韓国との関係は、国家の根幹に関わるようなものはありません。時々、それなのに、なぜこんなに? と不思議になるんですよね。

まずざっくり日韓関係と当時の主な出来事を振り返ってみましょう。

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慰安婦問題と謝罪の90年代

日本と韓国が国交を回復したのは1965年。

今から半世紀も前ですが、当時韓国は軍事独裁政権であり、両国は近くて遠い国でした。

73年にはKCIAによる金大中氏の拉致事件(これは、当時の大統領朴正煕(現大統領・朴槿恵のお父さんですね)のライバルだった金大中氏を邪魔に思った韓国の情報機関が、なんと日本国内で当人を誘拐・拉致したというびっくり事件で、あまりのやり口のひどさに日本で朴正煕への批判が高まりました)。

87年に盧泰愚大統領が韓国を民主化し、88年にソウル五輪。

韓国という国が日本人に少しずつ身近になっていくのが90年代です。しかし、90年代に入ってすぐの1991年、朝日新聞の意図的誤報である「慰安婦問題」が始まります。

90年代は、冷戦(89年にベルリンの壁崩壊)が集結したこと、左翼に親和的な団塊世代が社会の指導的世代となったこともあり、世論は謝罪に「傾き」ました。

政治的には93年に野党の連立政権意よる細川内閣、94-96年は社民党と自民党の連立による村山内閣と、左派政権が続きます。

江沢民による反日教育が始まったのは94年から(天安門事件は1989年)…といえば、90年代の雰囲気は感じ取れるでしょうか? バブル末期でもあり、非常に不安定な時代でした。

左派政権が成立したり、いわゆる従軍慰安婦に謝罪したり、リベラルな社会が実現しつつあるように見えた一方で、91年に湾岸戦争・ユーゴスラビア紛争、93年に北朝鮮がNPO脱退、95年に台湾有事(中国が台湾を軍事的に恫喝したために、アメリカが台湾に空母を派遣した事件)と、冷戦という一種の安定社会のあとで世界は火薬くささを増していきます。

91年の湾岸戦争では、お金だけだして人を出さなかったと国際世論に大変な批判をされた日本は、96年から自衛隊を国連PKO活動に参加させざるを得ず、法整備をすすめていきます。それを牽制するかのように、PKO活動法の成立と同年の96年、国連人権委員会から旧日本軍の慰安婦についての報告書(クマラスワミ報告書)が発表されます。

97年、韓国経済が破綻。IMF体制になります。

今こうして90年代を見返してみると、政府が苦心していたのは、韓国への謝罪ではなくて、自衛隊の海外活動の合法化であり、そのために韓国への謝罪という譲歩を、切り売りしたことがよくわかります。

また韓国が必死に日本から賠償金を得ようとしたのは、経済破綻が進んでいったからだという事も分かる(経済破綻という問題から国民の目をそらせるためだったかもしれません)。

政治的には自社連立、野党連立など、メディアと小沢一郎に揺さぶられる10年間でした。

90年代の保守とリベラルをフラフラした政治のカウンターとして、強力なリーダーシップを持つ、小泉政権が誕生します。

小泉政権と左派後退の2000年代前半

2001年の最大の出来事といえば9.11。このときからアメリカはテロとの戦いと言う迷走を始めます。

2002年は、90年代という韓国への譲歩時代の置き土産のように、日韓共催のワールド杯。現代の嫌韓の根っこになった出来事です。

2001年に誕生した小泉政権は経済は新自由主義で、親米を徹底的に貫きますが、政治的にはあくまで中道でした。今はあまり話題になりませんけど、村山談話をそっくり引き継ぎ、中国・韓国への謝罪を明記した小泉談話を発表し、アジア諸国への謝罪発言も多かった。

ただ靖国神社への参拝は辞めなかったことから、中国・韓国との関係は悪化します。

小泉さんは、日米・日露関係はものすごく重視したけれど、日中、日韓関係は二の次にしました。

2002年には北朝鮮を電撃的に訪問し、日本人拉致を金正日が認めたことで、左派勢力が大きく後退します。日本の左派政党は、日本人拉致事件を右翼の捏造、陰謀として認めてこなかったんですね。

後から考えると、この時の左派後退は意外に大きな事件でしたね。後に民主党政権樹立につながるという意味で。

民主党が議席を伸ばしていくのは2000年代前半からなんですけど、小泉首相という強力なリーダーがいた間は振るわず。

2003年に小沢一郎の自由党が民主党に合流し、2000年から躍進しはじめた民主党が、小沢一郎という議員メーカーを得て参議院・衆議院ともに議席を伸ばして政権交代を視野に入れたと言われるのが2004年。

「冬のソナタ」が日本で大ブームになるのが2004年。

翌2005年は、「まんが嫌韓流」出版され、島根県で「竹島の日」が制定されて、韓国では反日活動が一段と高まります。韓国のVANKが「ディスカウントジャパン」活動を始めたのもこの年。

2005年前後は中国の経済が躍進したこと、韓国もIMF体制から立ち直りつつあったこと、日本が国連安保理の常任理事国入りを目指したことなどから、反発する中国・韓国との衝突が増えていきます。

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民主党と円高と韓流ブームの2000年代後半

2005年の選挙では管代表の年金未納問題、2006年はライブドアの堀江メール捏造問題などで、振るわなかった民主党ですが、2006年の小泉首相(円満)退陣、2007年安倍首相が体調不良による電撃退陣が追い風となり、2007年に参議院第一党の座を掴みます。

ねじれ国会となったことで、日本の首相は福田康夫→麻生太郎と1年交代、外交も経済も、何もかもが停滞したなあ(遠い目)。

特に2008-2009年の麻生政権は、自民党内からおこった麻生降ろしの動きにメディアの攻撃もあいまって、ほんとに末期的な様相でした。

それでも、リーマンショックを乗り切るなど、民主党政権に比べればよっぽどちゃんとしてましたけど。

しかしメディアが政権交代を煽ったこともあって、2009年の衆議院選挙では民主党が圧勝。

90年代から続く価値観の混乱、日本をどのように運営していくか、ビジョンが定まらない時代が極まった感があり、一度民主党に政権運営をやらせてみよう、という機運が高まりました。

この時期、同時に円高が進んでいくのですが、それと同調するようにサムスン電子に始まる韓国企業の業績が上がっていき、日本には次々に「韓流」が進出してきます。

……すみません、終わらなかった。orz。

次回に続きます。

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