9回「桶狭間に死す」井伊谷の修羅道が始まった。

子役に気持ちのチャンネルが合わなくてしんどかった1月、キャストが大人に変わってドラマが動き出した2月を経て、ようやく大河らしいドラマになってきた。

19世紀の海外の翻訳長編小説を読むときの、最初はどうにも面白くないのだけど、5分の1くらい読み進めると急に面白くなる、あの感じに似ているなあと思ったら、9/50だからまさに約5分の1だった。

というわけで、織田信長が今川義元を急襲して劇的勝利を収めたと、世にも名高い桶狭間の戦いです。

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大敗

この時の今川義元の尾張侵攻は、足利将軍を助けるために(今川家は足利家の庶流)京都に向かっている途中だった…とされることが一般的だったけど、「直虎」ではその説を取らず、今川氏の尾張平定のための戦の一つとして扱う。

考証の小和田先生の説では、この時25000という大軍をつぎ込んでいること、今川義元自らが軍を指揮していることから、尾張奪取が目的だったのではないかとのこと。

この進軍の先鋒を命じられたのが井伊家と松平家。

この時代も先鋒は最も消耗の激しい部隊であったと思うのだけど、そこに井伊がわざわざ配属されたのは(はっきりとは言っていないけれど)直親帰参を認める代償であったはず。

うまくドラマが史実を埋めている。

合戦のシーンはほとんど数分で、セット撮影で、義元公の最後も描かれなかったけれど(踏み壊された輿と扇で象徴するのみ)、直前の地響きに直盛が気づき、急襲された小野玄蕃が食事の椀を投げ出して応戦するなど、悲惨な戦闘であったことが工夫されていて、面白く見た。

何より、敗者である今川の側から桶狭間という、これまで見たことがなかった視点での映像、大変楽しめた。

今年最初の戦闘シーンとしては十分でしょう。

敗戦の後

井伊谷に今川方大敗の知らせがもたらされ、多くのけが人が戻ってくる。

どうやって戻ってきたのかというと、やっぱりそれは徒歩で逃げてきたんだろう…ここでGoogleMap調べ。

桶狭間古戦場伝説地(桶狭間の合戦が行われた場所は、現在でも特定されておらず、論が分かれている)から、井伊谷城址まで約80km。

この時代でも健康な大人が徒歩で移動するのに1日30km前後だったはずだから、鎧で武装した軍隊がけが人を連れて戻ったとなると5〜6日以上かけての、悲惨な帰路であったことが想像出来る。

ちなみに、松平元康は桶狭間の戦いには参加せず、前線の大高城の支援→守備に回っていたので、軍はほぼ無傷。

そこから岡崎城に帰ったわけだけど、やはりGoogleMapで調べてみると、

近い。これは帰りたくなる。

それから敗戦後の描写では、次郎法師が敗戦に動揺して過呼吸を起こしかけたり、オロオロするばかりでほとんど役に立たないのが地味に面白かった。

次郎は戦と云う厳しい現実と直面しないよう守られていたのであり、「カビの生えた饅頭」かもしれないが、井伊家の人々にとっては大切な総領娘であることがフォローされていたので。

どんな事象でもslack(組織における余剰資源)が大事であることを、この時代の人の方が理解しているのだな。

統治と云う仕事

桶狭間後、井伊での敗戦処理が描かれたのも面白かった。

政次と新野など、今川の目付家老たちが道路の整備や交通規制を行ったりしている。その横で直親や中野は、自家の金の管理で手がいっぱい。

直盛の妻・千賀は戦で亡くなった家臣の家族に配慮し、慰めの手紙を書く。家臣たちの心が離れていかないように。

こういうのをきっちり描くことで後々、次郎が党首になった時に「統治」に苦労する、という伏線になっており、主人公に万能感を与えないよう細やかに作り込まれている。

そしてこの後、しの・なつの父、奥山朝利でんでんの事件が起こって大変なことになるのだけど、悲しみを堪えて日々の営みに気を配る地道で理性的な努力と、敗戦に傷つけられた心から生じる狂気の対比ね。

始まる井伊谷の鬱展開の幕開きとしての、桶狭間の大敗。直虎が、ここで一気に押してきたよ…

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