〈FBリユース#48〉その生き方を貫けるか、どこまでやれるか。

当ブログのfacebook支店「はんすうaid大河ドラマ館」に、投下している視聴直後の感想などをまとめています。

しかし、48回はTLまとめ作成お知らせの記事がないわ、49回は視聴直後の感想からまるっとないわ…多分、最終回が目の前に来て、気持ちが…

というわけで48回「引鉄」は視聴直後の感想のみですが、文章を読めばわかる通り、私はこの時点でもう死んでいたのです。

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最後の望みに向かって

48回視聴終わり。

自分は大御所と刺し違え、秀頼公の国替えを勝ち取り、
茶々たちを四国に移らせるつもりの幸村・・・・
そうか、お前そういうことを考えていたのか。
それがお前がなすべきことなのか。

となった48回。

ミタニンすごい。
幸村の人生を自身が体験することで、
その戦略にたどり着いたんだな・・!

そしてその望みに向かって、最後まで戦うんだな、幸村は。

それでこそ、それでこそ、日ノ本一の兵ォォォ!(号泣)

あと、幸村が馬上筒を手に入れるエピが
ものっすごいきれいでしたね。

きりちゃんとは、きりちゃんとは・・・
あー、ちょー・・心の準備が。ああああああ。

短すぎるので、ちょっとつけたしておこう。

48回は最後の箸休め回で、佐助のプロポーズ→きりちゃんが瞬殺、つかの間の大坂城の休息、信吉たちとの再会と表向き楽しいイベントてんこ盛りでした。

(有楽斎の追放とか、千姫の江戸に帰りたい問題とかもありましたけど)

楽しいイベントばかりであまり胃が痛くならなかったから、逆に信繁の「自分の命に代えて豊臣家を救う」という決意が沁みました。

ちょうど今、直虎が「利己と利他を一致させる」という生き方をテーマにしてると思うんだけども、こうしてみると真田丸にも同じテーマが流れているし、あまりうまくいっていなかったけれど花燃ゆもそうでした。

そう思うと、ユニークorふざけてると評価される真田丸は、大河ドラマの枠に収まるというか、やはり大河ドラマとしての軸を持っているのがわかります。

(大河ドラマは日本という共同体に属する個人の生き方とはどうあるべきか、というテーマを一貫して扱っていると思う)

このテーマは文芸表現を見ていると割と戦後のあちこちで顔を出すのだけど、それは日本人が自分と自分が所属する共同体を、うまく繋げられなくなったことからきているのかもしれないなあ。

(主に戦争体験のせいなんだろうなあ)

(大河論になってしまった)

真田丸の場合は、その生き方を「つらぬけるか」「どこまでやれるか」まで描くんですね。それがよくわかったのが48回だったという気がしています。

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コメント

  1. 軒しのぶ より:

    この第48回を見て
    「なんでなんでなんで、秀頼が大阪城を出る、四国に移るというその大方針を、もっと早く、戦いの初めから、いや、せめてあと1回早く、和睦を交渉するときに考えておかなかったんだああ!」
    と絶叫したことを懐かしく思い出しました。
    豊臣方徳川方、双方のために、そう思います……堀を埋められて大坂城が大坂城ではなくなってからでは、大阪城を出るというのはもはや交渉のカードにならないんですよね……そして、たとえ源次郎君が大御所と戦場で刺し違えても、あとに秀忠が控えているという現実が、見えているこちらには(そして見えている兄上にも)ほんとに辛かった。

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