〈真田丸総評〉寄稿その4-5「全体を通して。オープニング。ナレーション」

mmさんの真田丸総評ラストです。ありがとうございます!

関連記事:

寄稿その4-1「本格大河と言える真田丸脚本」

寄稿その4-2と3「「真田丸」が面白いドラマになると確信した点」「「真田丸」の合戦描写を考える 」

寄稿その4-4「主役と歴史」

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真田丸 全体を通して

今回は50回全体のバランスなどを、「後出し」で考察されてます。

mmドラマ 真田丸 全体を通して

先端の研究成果も取り入れており、既出の論をもとに物語を手堅く展開するのではなく、ドラマの展開に史料・解釈が追いついてくる形でドラマを作っていた部分もある。

大坂編が長く感じられたのは、実際に話数が多かっただけでなく、大阪編の大坂パートの裏で進行する昌幸と信幸の信州パートや、その前の天正壬午の乱の描写がドラマの後半よりも相対的にあっさりしてしまったことも原因だと感じる。

18話で上洛してきた父が、大坂にいる源次郎の目には田舎臭く、時代遅れになったように見えるという描写に説得力を持たせるためだと思うのだが、そう描写するには少し早すぎたのではないか。信州パートの描写が弱々い分、大坂パートが長く感じられてしまうのだ。

と、全体の構成から、ナレーションの効果、オープニングについて。

大河ドラマはまさに作りながら放送しているので、後から修正したい、ということがきかないことが多い。

だからこそ継続してノウハウを溜め込んで行かないといけないし、世代交代も戦略的に行っていかなければならない。

という風に書くと、皇室みたいで、長く継続していくためのノウハウというのを世界で一番持ってるところなんですよねえ。

大河ドラマも大河ドラマという形でなくてもいい、日本の歴史を1年かけてその時の最高のスタッフと役者さんが表現する、というスタイルを継続して行って欲しいと思います。

いやできれば「大河ドラマ」という形が望ましいですが。

mmさん、寄稿(リンクだけども)いただき、ありがとうございました^^

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