〈真田丸総評〉寄稿その4-4「主役と歴史」

真田丸総評その4で、鋭い指摘を寄せてくださっているmmさんから第四弾が届きました。

今度は主役について。

関連記事:

寄稿その4-1「本格大河と言える真田丸脚本」

寄稿その4-2と3「「真田丸」が面白いドラマになると確信した点」「「真田丸」の合戦描写を考える 」

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主役について、歴史の捉え方について

真田丸の主人公のはずの真田信繁が、通常の大河の主役と違って主体性に欠けていたのはしょうがない話で、彼は組織を率いる側の人間ではなく、常に組織の構成員の一人だった。

だけど、そんな彼を主人公にするにあたって、三谷幸喜は出来事の結果から人物を造形しなかった。

mmドラマ: 真田丸 ~主役について、歴史のとらえ方について

例によって一部引用させてもらいます。

主役が主体性を持って運命に立ち向かうというのはギリシャ悲劇以来の西洋演劇の型だが、そうではない物語構造は他にもある。

「真田丸」では信州の小さな領主の次男坊という非力な存在が乱世の海に旅に出る物語である。彼は父や秀吉や家康をはじめとする輝かしい人物たちの活躍に振り回されながらも、それらの人物たちのバランス点/焦点に存在し続ける。

それはちょうど上杉、北条、徳川、豊臣の間でバランスを取って生き残る真田家の存在感と相似している。

信繁を主人公にすることで、政権のトップ視線からは見えない歴史を描くことが可能になった。我々がこんなにも「真田丸」の物語に惹かれたのは、我々もまた源次郎同様に為政者が見えていない歴史を「見る人」だからであろう。

見る側の私たちの視点と、信繁の視点が実は近いという指摘は、あれだけ受け身の主人公がなぜ主人公たりえたかという理由でもありますね。

現在では、組織のトップとして生きる人の話は常に物語化され、消費されてしまいます。そのために新しい物語として、それを端から見ている人の視点が生まれてきたのかな。

mmさんの総評はもしかしたらもう一本あるかも、とのことなので、楽しみにお待ちしています。今回もありがとうございます。

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