〈真田丸総評〉寄稿その3-5「女性像、主人公像、不満などなど」

あかるさんの総評、ラストです。今回も面白いですよ。

女性像について、主人公像について、数少ない真田丸への不満、役者さんの野望について。盛りだくさんでお届けです。

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女性像について

余録1「大河ドラマにおける新たな女性像の創造」

私は近年の大河ドラマの女性像に辟易していた。

『利家とまつ』の「私にお任せ下さいませ!」辺りから勢力を増し、『江~姫たちの戦国』(江は完走していないので評価はできないが)でピークに達したであろう、どこへでも出向き、超能力で全てを解決してしまう女性像に。

どこまでリアルさを追及するかは別として、当時の女性視点だからこそ見える、当時の女性の苦しみ、喜びがあるはずだろう。現代の「女性活躍」をそのまま大河ドラマに取り入れることは、かえって「女性活躍」や当時の女性への軽視の表れではないか?と思うのだ。

『真田丸』はこの近年の流れに一石を投じた。

『真田丸』における女性は、基本的に何もしない。

きりは、「高梨内記女」の歴史的事実が不明であることを生かし、信繁が入り込めない物語を描く舞台装置として数々の活躍をしたが、結局彼女はその場にいるだけであり、歴史は何も変わっていない。

阿茶局は、夫を支える妻として存在感を見せ、薬湯を作ったり、家康に過激なまでの発破をかけたりしているが、やはり彼女が歴史を動かすのは大坂冬の陣の和平交渉のみである。

江に至っては「勝てます」「大丈夫です」と念を送るのみ。そして「今は正信と大事な話をしている」と言えばおとなしく退出するのである。

「何もしない女性たち」。

しかし、彼女達の存在は、女性の活躍を描いていなかっただろうか?

彼女達の存在はドラマを作る上で非常に重要であり、視聴者に残したインパクトも大きかったはずだ。

当時の女性の役割に嘘をつかず、しかしながら歴史的事実が不明な部分については、思い切り創作する。この姿勢こそが、大河ドラマにおける「リアル」さを演出し、万能な女性主人公よりも、かえって女性の共感・支持も集めたのではないだろうか?

来年の女性主人公大河「おんな城主直虎」にも期待したいものである。

主人公像について

余録2「大河ドラマにおける新たな主人公像の創造」

先ほどの「女性像」と被る部分もあるので、簡潔に。

「英雄ではない」「何もしない」主人公像は非常に斬新だった。

1クールは昌幸、2クールは秀吉、3クールは三成を事実上の主人公に据えた作劇。

大坂の陣編より前に、信繁が主体的な活躍を見せるのは、上杉との交渉および人質の日々くらいではないだろうか。それも歴史の表舞台ではなく、明確な史料がないから描ける創作パートでの活躍である。

信繁は歴史の傍観者であった。その代わり、信繁が見てきたものは克明に描かれ、間違いなく彼の中に蓄積されていること、それが最後の「主人公・幸村」に繋がったことを、ドラマにおける数少ない、しかし怒涛の回想シーンにおいて示している。

これも、『真田丸』が打ち出した新たな手法、大河ドラマにおける「英雄でない」新たな主人公像といって良いのではないだろうか。

不満

余録3「真田丸に対する(ごくわずかな)不満」

予算が少ないため戦闘シーンに迫力がない等、既に色々な意見が述べられている。

もちろん残念ではあるのだが、個人的にはドラマの都合上、仕方のないものとして捉えている。

一方で、明確に不満として私が感じるのが、「稼ぐ気の無さ」「グッズのやる気の無さ」である。

「予算が少ない」というのならば「大河ドラマは稼げる」という指標は必要ではないだろうか?

最終回前に、ファン心ピークで大河ドラマ館を再訪し、グッズのやる気のなさに呆れ返った。

小花柄で飾られた、赤と黒のグッズの数々。本編で一度でも登場しただろうか?

「幸村甲冑」のクリアファイル。『真田丸』オリジナルではない、どこかの「赤備え甲冑」の写真。

「真田丸」ロゴクリアファイルに至っては、タイトルロゴ周囲の「点」が印刷範囲外。
NHKが、作品を基点として儲けること(グッズに限らず)にどのような姿勢であるかは正直知らない。

民間企業といえど、公共放送であり、単純に利益に走る訳には行かないことは想像できる。また数々の地方イベントからは、「ドラマにではなく、地元にお金を落としてほしい」という意思も感じられた。

だが「利益に走らない」と「視聴者・ファンのニーズに応え、自然と得られる利益を確保する」には大きな差がある。

「予算」という明確なものがある以上、必要最低限の得られる収益は得ようとしてほしいし、グッズを欲するファンのニーズには応えても良いのではないかと思う。

作中の江ではないが、ここまでファンに寄り添い、SNSでファンニーズを拾ってきたNHKなら、「出来るはず」だ、と強く訴えたい。

※グッズ作成はNHKエンタープライズという別会社であるため、ファンニーズを拾う構造が存在していない可能性はある。ならば、その構造を含め変えてほしいと思うのは求めすぎなのだろうか?

余録4「真田丸に対する(ごくわずかな)不満」2

「今だって愛と勇気の旗を掲げてもいいんだ」

最初はファンを恐れさせたものの、最終的に非常に納得感のあるものとしてドラマを飾った、見事なキャッチコピーだった。

一方、いまだに唯一納得できないキャッチコピーが「戦国の中流家庭」である。

戦国時代の人口構成を示す資料が手元にないため詳細不明だが、江戸時代の士族割合は5%程度と推定されたと記憶している。真田家はその中でも「有力国衆、武田家重臣」から「小大名」へ飛躍を遂げた存在である。「上流家庭」であることは明らかだろう。

また、格差社会が問題となっている今、現代に訴えるキャッチコピーとしても「中流家庭」という単語も時代にそぐわないのではないだろうか。

「今だって愛と勇気の旗を掲げてもいいんだ」に納得しただけに、このキャッチコピーの残念さが際立つ。

迫田孝也さんなる役者

余録5「俳優たちの野望」

『真田丸』がここまで濃いファンを獲得した要因の一つは、俳優を起用したイベントを数多く行ったことだろう。

三谷氏の「あてがき」も効を奏し、ファンは俳優の役を離れた一面、役に重なる一面を見て、ますますファンになっていく。途中からそんな正のスパイラルが明らかに生まれていた。

またそうした俳優の一部は、twitterを用いて自らファンとの交流を積極的に行い、ドラマファンを自らのファンにしていった。「有名ではない」俳優をも沢山起用したからこそ、為せる技である。

一番分かりやすい例は、矢沢三十郎役・迫田孝也さんだろう。

彼が出演した『アウトデラックス』でチラリと見せた、「真田丸にトコトン乗っかって、名を上げてやる」というギラギラした一面。(というとオーバーかもしれないが)

源次郎様を愛する三十郎のイメージを上手く利用し、真田丸愛を語り続け、呼ばれていないイベントに出演し続けた迫田さん。そんな彼の愛と野望が、ファンをより惹き付け、『真田丸』を盛り上げる相乗効果を生んでいたことは間違いない。

私も実際そんな迫田さんに気持ちを盛り上げられた一人だった。そして、真田丸撮了後に彼の出演作品の告知を見、実際にバラエティへの出演等を見ると、特別三十郎ファンではないにも関わらず、何となく迫田さんを応援したくなってしまうのだ。

なお、「役者の野望が相乗効果を生む」大前提として、ドラマが面白く、「これに乗れば勝てる!」感が必要であることは、言うまでもない。

・・・・・・・・・

関連グッズのやる気のなさには吹きましたww これは改善簡単そうww ぜひ改善して欲しいですwww 

迫田さんへの鋭いツッコミもお見事で、そうなんですよ、迫田さんののし上がってやるオーラの凄さにいささか引く気持ちもあるんですが、あれだけ一生懸命で面白いと応援してしまうんですよ。頭の良い役者さんなので、きっと成功されると思います。

あかるさん、余すところなく語っていただき、本当にありがとうございます。大河ドラマ好きで、遠征や公園にも行かれているあかるさんの広範囲にわたる批評を、めっさ興味深く読ませていただきました。

またなんでも思いついたことがあったら寄稿してくださいね!

真田丸総評の寄稿は、2016年1月7日まで受け付けていますので、皆様も良かったら是非テキストをお寄せください。

こちらの記事のコメント欄で受け付けています。よろしくお願いします。

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