〈真田丸総評〉寄稿その3-2「家族愛」vs「精神的・社会的諸問題」? 

あかるさんの総評の続きです。豊臣家の描写についての詳細な分析です。すっごい面白い。

関連記事:寄稿その3-1「脚本、プロデューサー、時代考証の連携の一つの完成形」

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戦国期の「今」と現代の「今」を繋ぐ② ~若手サラリーマン信繁の視線と、現代の諸問題

さて、ここまで「小さな家族」「家族愛」を切り口に述べた。

それに相対するものとして描かれるのが、2・3クールの主役、豊臣家である。

初回こそ芋煮の家族団欒が描かれるが、直ぐにナレーションによって不吉な予告が為され、これまでのような「家族」ドラマではないことが示される。

「ブラック企業豊臣」「社畜に辛い大河」等評された大坂編・関ヶ原編。

主演の堺さんもインタビューで「信繁は地方公務員」と述べている。

この描写が、まさにサラリーマンとして働いている~49歳男女の心を掴んだのは間違いないだろう。(視聴率分析が20~34歳、35~49歳、50歳~と分けているための表記。『真田丸』は他大河に比べ、~49歳男女の視聴率・満足度が突出している。詳細後述)

かくいう私もその一人であり、信濃編で感じた「面白い!」が、「登場人物への肩入れ」に変わり、一段特別なものへと昇華されたのは、秀次の受難を描いたエピソードだった。

そして「大坂編」の特徴といっても良いのが、「医事指導:酒井シヅ(順天堂大学名誉教授)」のクレジットが示すように、精神疾患を中心とする現代的問題が明らかに描かれたことだ。

明言はされていないが、大谷吉継の膠原病(ベネチェット病)、秀次の欝、三成の発達障害(アスペルガー症候群)、秀吉の認知症・・・吉継の病気を除き(従来はらい説が有力なのでこれも新機軸だが)、『真田丸』が新たにドラマ上の人物像として打ち出したものだ。秀次の欝は最新の学説ともリンクしているが、三成の障害などは完全に『真田丸』オリジナルである。(cf.https://togetter.com/li/980897)

私は専門家ではないのでこれ以上語らないが、現代の「今」に寄り添うために取り入れられた演出であることは、恐らく確かだろう。

信濃編で「小さな、愛溢れる家族」を軸に、戦国期と現代の「今」を繋いた『真田丸』。
大坂編ではガラリと視点を変え、「サラリーマン」「現代の社会問題、精神疾患」を軸に「今」を繋ぐ。

全く違う視点で、信繁の生きた戦国期の「今」、我々視聴者の生きる現代の「今」。2つの「今」に寄り添い切った2編、見事というほか無い。

「家族愛」vs「精神的・社会的諸問題」? ~『真田丸』のテーマ深読み

さて、ここで注目したいのが、「精神的・社会的諸問題」は全て豊臣家において描かれたという事実だ。

「家族」のトップとして信濃編で描かれてきた昌幸や家康は、その後も失敗や間違いを犯すこと、また老いることはあっても、精神的には健在である。

「精神的・現代社会的問題」を抱えた豊臣家、トラブルはあれど精神的支柱は消えず「家族愛」を中心に描かれる真田家・徳川家の対比構造を抱えたまま、舞台は関ヶ原・大坂の陣へと移る。

歴史的事実として、2つの戦いにおいて敗北するのは豊臣方である(関ヶ原西軍を豊臣方と表記するのは語弊があるが、豊臣内部の精神的問題の象徴の1つとして描かれた三成が主役であるため、そう記す)。

主人公が敗者側にいるために分かりづらいが、「家族愛」vs「社会的問題」の構造が描かれ、「社会的問題」を抱えた側が敗北する構造である事は間違いない。

問題ある側が敗北するのは当然と言えば当然だが、対比として置かれる徳川家が極めて「家族愛」的に描かれているのは着目すべきだろう。

「超高速関ヶ原」により、関ヶ原の詳細は描かれていないが、勝敗の要因の一つとなった小早川秀秋が秀次の出奔を機に「豊臣家」に不信感を覚え、それが西軍離反の原因となる様は、描かれずとも想像できる程に、とても丁寧に描写された。

また、大坂の陣の流れを決定付けるのは、父や擬似家族・正信の教育により、ドラマ内で大きく成長を遂げた秀忠であり、一方で父不在で育った秀頼は疑心暗鬼により敗北する。

「家族」をテーマとする作品として、象徴的なシーンと言えよう。

ただ、この分かりやすい対立構造を、善悪構造に陥らせなかったこと、むしろ2・3クールの主人公を秀吉・三成といった「問題側」に置き、問題を抱えつつも懸命に生きた結果として、信繁の視線を通して愛を込めて克明に描いたことは、敗者を愛する三谷氏ならではの構成だろう。

現代を生きる視聴者は、様々や問題・悩みに直面し、見えない将来を模索している。

「問題側」を主人公に置くことで、視聴者はドラマを自らのものとしてより身近に感じ、物語に肩入れしたのではないだろうか。

敗者を描きながら「敗者の美学」を描かず、あくまでも問題として丁寧に描写した上で「最後まで望みを捨てぬ者」として描ききった脚本は、まさに視聴者に寄り添うドラマだった。

・・・・・・・・・・・

大坂城編の緊迫感の正体を、「諸々の社会問題」を取り入れた描写のためと指摘するのすごい。14〜30話、つまり秀吉が生きていた頃の大坂城編の異様な面白さは、三成・秀吉・茶々などの人物設定にあるのですよね。

脳の機能が違うような異人が生み出す圧の恐ろしさを、歴史ドラマの中に無理なく落とし込んだ稀有な例だと思います。

私たちはこういう圧を、大なり小なり感じながら生活しているから、大坂編を見ている時は信繁の感じていた恐怖みたいなものを自分のこととして再現できてしまったんですよね。

次回は「勝者・徳川」についてです。

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