〈真田丸総評〉寄稿その3-1「脚本、プロデューサー、時代考証の連携の一つの完成形」

続けて総評の寄稿をいただきました。ツイートでよく絡んでもらっているあかるさん(twitter: @akaru_m)からです。

何回かに分けてお送りします。読み応えすごいよ!

関連記事→向井秀忠の完成形、星野秀忠。最近のツイまとめ。

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現代性と歴史劇をつないだ「創作」

各話の感想などは普段のtwitterにて散発しているので、これを機に敢えて大上段に構えて論じてみる。

要約すると

  • 『真田丸』「小さな家族」「サラリーマン」「現代の精神的、社会的諸問題」をキーに、現代と戦国期、二つの「今」を繋げるべく、「個」を丁寧に描いたドラマ。
  • こんなに面白いのに、何故視聴率が取れないのか?→上記視点はメイン視聴層である中高年男性を置き去りにしているのでは?
  • 私は真田丸が大好きだ!

以上、である。

「今だって愛と勇気の旗を掲げてもいいんだ」

このキャッチコピーが発表された時、界隈がざわついたのを覚えている。
ドラマへの高い期待に反するかのような、陳腐なキャッチコピー。概ねそんな評価だった。
「この信繁は、本当に愛と勇気の旗を掲げるのでは」というコメントが出始めたのは関ヶ原編辺りからだろうか。
そして最終回を経てみれば、このキャッチコピーはドラマの(少なくとも一部分の)象徴だった。
このコピー及び最終回で示された「今」「時」という言葉。これは『真田丸』を貫くテーマであったように思う。

そのメッセージを強く感じたのが、「超高速本能寺の変」だった。
至近距離にいるにも関わらず右往左往するしかない信繁ら。
事態の真っ只中にいるが、信繁とは違い情報網を持っている徳川家。
離れた信濃にいるため、如何に重要情報を握るかが鍵となる、昌幸と滝川一益。
登場人物は決して未来を知らず、それぞれの与えられた状況下で「今」を生きている。

当時の「今」を描いてやるぞ!視聴者が如何に歴史の先入観で物語を見ているか気づかせてやるぞ!という意気込みを浴びせられ、目が覚める思いだった。

戦国期の「今」と現代の「今」を繋ぐ① ~家族愛を中継点に

『真田丸』は、信繁の生きた戦国期の「今」、我々視聴者の生きる現代の「今」。2つの「今」に寄り添い、2つの「今」を繋げる為に、「個」を丁寧に描いた作品だ。

VFXプロデューサーの結城崇史氏によれば(10/8講演より)、『真田丸』のキーワードは

・家族
・愛
・絆
・勇気

である。

また、三谷氏も著書『三谷幸喜のありふれた生活14いくさ上手』P199にて「家族みんなで見てもらえるようにと、願いを込めて作っている」と述べている。

大河ドラマは歴史を描くだけでなく、その年のNHKからのメッセージがテーマとして含まれるのが通例だ。(同結城氏講演よりcf.『八重の桜』=311復興応援ドラマ)
そんな「家族」「愛」etc.を描く『真田丸』。

緻密な時代考証の裏付けにより、余り論じられることは無いが、『真田丸』の世界は非常に歪んでいる。それは主にこの「家族愛」を描く上で頻出する。

まず、わずかな例外を除き、特に物語初期において、『真田丸』世界は一夫一婦制をとる。
昌幸は正室薫を生涯愛し、信繁は梅を「ほぼ正室のようなもの」と語り、正室春は梅の死後に現れる。信幸正室であったおこうは、稲の登場により侍女となる。(後に側室になるが、当初の予定は離縁で退場であったそうだ)

また、きりや三十郎といった真田家を取り巻く主要登場人物であっても「母」という存在は現れず、出浦や信尹といった真田家を支える人々にも家庭の色は無い。

「真田丸」という小船は、「昌幸・薫-松・信幸・信繁」という非常に「小さな家族」とそれを取り巻く人々で構成された、「小さな家族」を描くために敢えて切り取られた、歪んだ世界なのである。

そしてもう1つ、家族として描かれるのが徳川家だ。

家康・唯一の妻阿茶局・本多正信・本多忠勝・そして唯一の子供秀忠で構成される擬似家族。
石川数正等他の家臣とは明らかに違う、家族感がそこにはあった。
頬に付いた飯粒を食べ合う家康と忠勝、肩を揉んだり薬を飲ませたりするシーンの多い阿茶局。

アドリブも含め、明らかに家族としての描写が多い。

また「妻」が存在することなど、上杉や北条といった他の大名家の描き方とも一線を画していた。

このような「小さな家族」演出が、戦国期と現代の「今」を繋ぐための工夫であることは明白だろう。吉川プロデューサーも講演において「中世の壁」を乗り越えることの苦労を述べていた。

ただ、『真田丸』は徹底した時代考証によって、それを陳腐な現代視点にはしなかった。

「基本的に明白な嘘は入れない。しかし記述の無い部分、分からない部分は創作する」
この姿勢を貫いたからこそ、視聴者は登場人物に現代的感情で肩入れしつつも、歴史ドラマとしての違和感を感じずに、ドラマに没入できたのだ。

時代考証諸氏、吉川P等の講演等を聴くに、「脚本、プロデューサー、時代考証の連携」については、『真田丸』はひとつの完成形を為したのではないだろうか。

視聴者としては、この形が維持されることを切に願う。

・・・・・・・・・・・

真田丸が最新の時代考証を綿密に取り入れたことは評価が高いところです。それとトレードするように、人物描写に現代性を取り入れることで、ドラマを見やすくしているという指摘は鋭いです。

家族と奥さんを愛するパパ上は、どんなに表裏比興をやらかしても許してしまうし、徳川家康も彼を取り巻く家族的な親しい人間関係と同じ目線が得られるから、なんだか可愛い。

そのバランスが絶妙でしたよね。うん。

次回はみんな大好き大坂編の評です。

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