ファシズム=極右=保守なの? ナチは極右じゃなくて極左だよ。

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2012年の第二次安倍政権発足以来、中国、韓国、朝日新聞など国内の左翼の人たちが、安倍首相を「ヒトラー」、自民党を「ナチ」と例える悪口を多く目にするようになりました。

私は、まずヒトラー、ナチという言葉の今更感に驚きました。

歴史に興味をもっていろいろ勉強しているうちに、ナチスドイツや第二次世界大戦に対する考え方が、大分変わって来た。歴史を連続してとらえらるようになり、いつのまにか、ナチスドイツやヒトラーを歴史上稀に見る極悪人とは考えなくなっていたんですね。それと、ナチスドイツというのものが、20世紀末にサブカルでものすごく消費された、ということもあったと思います。その自分の変化に驚きました。

次に未だに「ヒトラー」という言葉で敵を罵る人々がいるということに驚き、さらに毛沢東を建国の英雄とする中国が日本の首相をヒトラー扱い??と面食らいましたが、一番びっくりしたのはファシズム=極右=保守主義っていうイメージです。

一般庶民のイメージの中では、という話ですが、このイメージが成り立ってしまっているということはちょっと面白いです。

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ナチは極右なのかという疑問が

ナチ、あるいはナチスドイスってよく使われていますけど、アドルフ・ヒトラーが率いていた政党の名前は、国家社会主義ドイツ労働者党(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei )。

党名からわかるように、ナチは極右ではなく極左でした。

極左でしたが、民族主義やドイツの伝統的な思想の影響を強くうけていたことと、ソ連に侵攻してスターリンに喧嘩を売ったために、極右という悪口を言われるようになりました。

つまりスターリンの立場で考えるとナチスドイスは極右なんです。おもしろいね。

ナチズムと同じようなものとして語られるファシズムは、イタリアのムッソリーニによる「国家ファシスト党」の思想ですが、洗練された思想ではなく、左的なファシストもいれば右的なファシストもいるという状態で、それと同時に左右どちらの主義にも反発しました。

敢えて言えば、国家主義・全体主義・権威主義・伝統主義という感じで、あまり頭の良くない思想です。

ファシズムとナチズムに厳密には異なるものなんですが、ざっくり考えてどっちも似たようなもんだな、となるのは、首謀者たちの行動に、

・指導者原理主義
・粛正、恐怖政治
・暴力的

という共通点があるからだと思います。実は思想信条がどうとかじゃない。

というか、これは、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、フランコ、毛沢東、李承晩など、第二次世界大戦前後の独裁者みんなの共通した特性でした。

ほんとに思想信条の問題じゃないんですね。

このことを考える時、私はいつも人類の歴史とはどういうものだったのかを物語っているなあ、と思います。

極右という悪口が成立するには

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しかし、ファシズムとナチズムを一緒にして極右=国家主義=保守というイメージ付けがどのようにして起こったのか、と考えると興味深いです。

おそらくドイツのソ連侵攻から、ドイツと(同盟国である)イタリアの共通の悪口として、スターリンの立場でファシズムとナチズムを一緒くたにして、極右とまとめて悪口を言った。

左側の人と話していると、極右っていう言葉を「極悪人」というような意味で使っているのがよくわかるんですが、日本では左寄りのものの見方が一般化しているので、極右=極悪人っていうのが悪口として成立するんですね。

そして左側の人たちは、敵対勢力である保守派の政治家を国家主義的と考えて、極右というカテゴリーに放り込み、極右=ファシスト=国家主義者=保守というイメージを作り上げた。

保守というのは、革新でないというだけで、ファシストでも国家主義者でもないのですが、あえて侮辱のために一緒にしているんですね。

しかし、歴史的には、社会主義は、国家主義とも民族主義とも簡単に結びつきますし、そうなった時の独裁者こそが危ない。

思想信条ではなく、構造的な、もしかしたら文化人類学的な問題なんでしょうけれど、だからこそ忘れてはいけないことだと思います。

ナチのことは、ちゃんと日本語訳で、「国家社会主義ドイツ労働者党」って言うべきです。

言葉の持つイメージの強さ

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つまり、何が言いたいかというと、「安倍はヒトラー」という言葉でヒトラーやムッソリーニといった残酷な独裁者のイメージを仮託する人たちは、同時にイメージの強さ・怖さを知っていて、社会主義や労働者って言葉がナチスという言葉に結びつくのを恐れいるんだろうな、ということです。

革新、進歩的、良心的という政治用語もそうで、100年以上前のマルキシズムを信望していて、数々の暴力事件を起こしたような党が、革新的で進歩的かあ、と選挙のたびに思いますし、過去の日本は悪かったと言い続けるだけで良心的と言ってもらえるけど、果たしてそれは本当に良心なのでしょうか?

こういう言葉の持つイメージを使った戦術は、物事の本質を覆い隠すためのものではないでしょうか?

ナチは極右、という言葉は、都合の悪い事を覆い隠そうとする、小さなプロパガンダの一つです。

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