「引鉄」影武者徳川家康?

多くの人が指摘していましたが、家康公が影武者を用いるのは、隆慶一郎先生の「影武者徳川家康」へのオマージュでしたね。

画像転載元:nhk公式サイト

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影武者徳川家康、とは

「影武者徳川家康」はタイトル通り徳川家康の影武者となった、世良田二郎三郎が主人公。

島左近の命を受けた甲斐の六郎という武田の忍びの生き残り(というから、真田十勇士の海野六郎のパロディかなんかですかね)が関ヶ原の合戦の折、家康を暗殺する。

家康の影武者を勤めていた鉄砲足軽の二郎三郎は、この時から家康として生きることになるのですが、島左近や六郎、風魔の忍びたちの支持を得て権力を掌握していき、やがて家康の息子である秀忠や、二郎三郎を見出した本多正純と敵対していく…というストーリー。

忍者がたくさん出てくるように、戦国ものの時代小説ではなく忍者小説で、忍者たちの戦いがものっすごい楽しいエンタメになってます。

しかし、この小説の肝は、三英傑の中で一番地味で堅実そうな家康が実は影武者っていう意外性ですね。

実はこの設定には元ネタがあります。

願人坊主、ささらもの

ここからは全面的に「日本史を読む」という丸谷才一・山崎正和 両先生の対談本に寄りかかりますが、まず、1902年(明治35年)村岡素一郎という地方官吏が徳川家康の出自に関する本を出版する。

「史疑–徳川家康事蹟」というこの本は、徳富蘇峰の民友社から出版されると徳川家ゆかりの人々が買い占め、重版をしないよう圧力をかけたと評判になったそうで、つまり徳川家康の出自についての研究本なのですが、

「駿府政治録」の慶長17年8月19日、家康が家来たちと雑談をしていて、「昔、自分が小さかったころ、又右衛門なるものが自分を銭五勘で売った。それで九歳から十八、九まで駿府にいた」と語った(略)

家康が売られたのが駿府の八幡小路の願人坊主であって、この家は維新後還俗して宿屋をやっているが、家康公の遺物は八幡小路円光院に預けてあるという。そこへ行ってみると遺物というのはは、直径八寸ばかりの編笠と、紺麻の法衣の一片をくくりつけたものであった。

家康は今川家の人質というような、身分ある武士の子ではなくて、当時「ささら者」と呼ばれた、牢内の雑役をする職務の、非人に近い身分の出身だということ(略)

というような内容からわかるように、もし豊臣政権が300年も続いていたら、秀吉が尾張の百姓の子であったことは伝わらなかったろう、という序文がつけられていたそうです。これで全てを語っちゃってますね。

長らく歴史に埋もれていたこの本は、1960年代になって再び世に出て、隆慶一郎さんにインスピレーションを与えます。

隆さんは、この説の全体には賛成しないんですが、家康の幼児の記憶の細部の生々しさに衝撃を受ける。

で、家康の幼児の時の記憶は本物で、これは影武者が述懐をうっかり述べてしまったもの、という設定に行きつくんですね。

画像転載元:nhk公式サイト

多分ミタニンは「影武者徳川家康」のことは大好きなような気がします(すみません、推測です)。

集団に埋もれることができず、アイデンティティが安定しない、フリーの忍者とか、影武者とか言う虚無的職業って、すごく演劇的だと思うんですよ。

二郎三郎が自分の中の個人的な義とか信とかいうものに救いを求めるあたりに、私はそれをすごく感じたなあ。もうそこしかすがるところがないんですね。

でも、そいうところをドラマや小説にすると実に美味しいわけですよ。ええ。

真田丸の人間くさくて暖かい徳川親子の関係は、「影武者徳川家康」の非常に孤独な二郎三郎と、それから悪い意味で官僚的な秀忠(家康似)と、両方のコインの裏側という感じがします。

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二郎三郎がイケメンなコミックス版がオススメよ。

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