〈こんな本を読んできた〉400年前の惨殺事件の謎解き「関白秀次の切腹」

book_1

豊臣秀吉の晩年に起こった身内惨殺事件「秀次事件」。なぜこんなに酷いことが起こったのか。

真田丸で描かれた秀次事件の歴史解釈の主な参考資料となった、矢部健太郎先生の「関白秀次の切腹」を読んでみる。

スポンサーリンク
ad

通説

豊臣秀吉の甥、秀次が山深い高野山でひっそりと切腹し、その一ヶ月後、彼の妻子39人が、京の三条河原で白昼5時間にわたり公開処刑にされた。遺体は全て一つの穴に放り込まれ、その埋葬地は畜生塚と呼ばれた。

この凄惨な出来事を「秀次事件」と呼ぶ。

当時から、そして現代に至っても大きな衝撃を覚えるこの事件の原因は、一般的に、「殺生関白などとあだ名される秀次個人の異常性によるもの」「石田治部の讒言によるもの」「年老いた秀吉の自分の子かわいさゆえの耄碌」などと説明されることが多いのだけど、本当にそうなのか。

400年前のことだから、資料が残っていないから、などとは言わず、著者は残された資料を丁寧に正確に読み解いていく。

この本で一番大事なのはその検討の緻密さ・綿密さだろう。

複数の当時の公家の日記、豊臣政権が発行した書状の内容・日付などを精査し、事件により近い場所からもたらされたと思われる情報を探しあて拾い上げていくさまは、まるで推理小説のよう。

イメージの再構築

解き明かされるのは、最後の最後まで、豊臣秀吉は自分の甥である秀次を殺そうとは思っていなかったという小さな真実なのだが、徳川家が前政権担当者である豊臣家の事跡を隠したり折り曲げたりしたし、また豊臣家自身も秀次事件の真相は隠すべく努めた。その向こう側に手が届いた感がある。

石田三成の讒言説についても、資料からうかがわれる彼の行動から、そして彼がわざわざ自分の腹心と言っていい部下を秀次の元に遣わしていることなどから否定される(石田治部という人に盛られた悪事の一つも解消される)。

殺生関白という秀次公の汚名もそうだが、近年ことさら強調される秀吉の暗黒面についても、著者は冷静に対応する。

秀次が死んだ頃の豊臣政権は、もはや秀吉一時個人が動かせるような組織ではなくなっており、政権トップである秀吉が絶対的な権力や存在感を持つ必要はあったが、あくまでそれは組織の要請によるものだった。

その辺りは三成も同じで、日本全国〜朝鮮半島まで行動範囲として活躍していた三成が、

一個人をおとしめようとか、私腹を肥やそうとか、そのような小さなことに汲々としていたかは疑問である。

(本文より)

事件関係者、特に秀吉・秀次・三成らの個人の人物像や、豊臣政権末期に対するイメージが再構築される本。

スポンサーリンク
ad
スポンサーリンク
ad

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA