真田安房守被害者の会 List 13・北条氏政 殿

後北条氏の4代目。関八州つまり安房、上野、下野、相模、武蔵、上総、下総、常陸を実質的にほぼ支配する東国の覇者。

真田丸登場時にはすでに隠居して、嫡男氏直が5代目を継いでいたので、「偉大な父」の側面が強いが、軍事にも内政にも優れ、上杉謙信・武田信玄・今川義元と渡り合った北条氏康という偉大な父を持つ「息子」でもあった。

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画像転載元:nhk公式サイト

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関八州の覇者

本能寺の変直後、同盟していた織田家を当然のごとく見限り、あっという間に上野を手に入れると、その後の天正壬午の乱で、関東のほとんどの地域を手中に収める。

信濃攻めでは昌幸の謀略に譲ったものの、甲斐攻めの雲行きが怪しくなるとすぐさま徳川と和睦してノーカンに持ち込むなど、昌幸・家康と互角に渡り合う狡猾で恐ろしい戦国武将でありながら、汁かけ飯エピソードで笑いを誘い、誇り高さと恐怖と腹黒と滑稽を並立させるという、稀有なキャラ付けの人物。

しかし、外交で手に入れたはずの沼田を軍事的に攻略できないことから、彼の転落は始まってしまうのだった。

沼田と真田に関わると人は死ぬ。合掌。

改めて沼田の復習

昌幸がとっさにぶっこんだ「名胡桃は真田墳墓の地」という嘘に振り回され…という話は、板部岡江雪斎さんと石田三成さんのところでも書いたので、この辺は省略して、今回は沼田について少し詳しく見てみましょう。

(例によってグーグルマップ調べ)

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若干適当ではありますが、現在の地図で太平洋と日本海を結ぶ東国の街道を結んでみました。険しい山地を避けて平地を結ぶという点では、戦国時代の街道とそう変わらないと思われるので参考くらいにはなると思います。

こうしてみると明らかなんんですが、関東から日本海に抜けるには、

・高崎辺りから軽井沢、長野を経由して上越に抜けるか

・沼田を抜けて魚沼盆地経由で新潟に向かう

の二つしかないのですね。山が険しくて。

関東と上杉景勝の本拠地である越後は、越後山脈と関東山地によって隔てられ、沼田はその越後山脈の麓、関東全体の北西のきわです。

沼田支配に北条氏政がこだわるのがよくわかりますね。

山の麓まで自分の土地であれば安心。まさに要衝の地。しかも街道沿い。何かあった時、ここで敵の侵入を防ぎたい。守りたい。

わかりますがしかし、頑なに何かにこだわる人は死んでいくのが真田丸の定めなのであります…

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画像転載元:nhk公式サイト

小田原開城

沼田にこだわるあまり、北条氏政は時代の変化を見誤る。

名胡桃城を攻めた家臣を放置し、つまり惣無事令を破ってしまうのだが、その重大さに氏政は最後まで気がつかない。

汗と脂で固まった白粉とたきこめた香で不安を隠しながら、氏政は籠城する。

どうせ戦うなら天下を分ける大戦をしたかったという言葉を裏打ちする関東の覇者としての矜恃が切ない。

史実的には、北条家は豊臣家臣団の中で中心となっていた石田三成ら秀吉の譜代家臣らとのルートが薄かったことで小田原征伐を招くのですが、もちろんその譜代家臣らと親しいグループには後北条の不倶戴天の敵である上杉と、真田が

いやいや、名胡桃城事件の真相は謎ですから。謎なんですから!

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コメント

  1. いろは より:

    小田原攻め直前においては、里見家が安房、上総、下総南部を秀吉に安堵されていたはずなので(小田原攻めにも参加している)北条家が関東全域を支配していた、というのはどうなんでしょうか?

    • アンチョビ より:

      >いろはさん

      コメントありがとうございます。
      話をシンプルにしたかったのですが、省きすぎましたね。直します。
      ご指摘ありがとうございます。

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