真田丸 第三十八回「昌幸」レビュー〈2〉キラッキラの秀頼公の圧倒的カリスマが、滅びを呼び込む。昌幸は信玄公の元へ。

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38回後半は、名だたる戦国大名たちの退場と入れ替わるように、昇る太陽のようなキラキラしい美少年・豊臣秀頼公が登場します。

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喧嘩指南

●信濃への帰還が叶わないことを悟った昌幸は、こっそり自分の軍略を紙面に残し始めます。

●ある日、九度山村の衆たちに昌幸は隣村との争いのための戦術指南を請われます。

久々の戦(喧嘩ですけど)の話に興が乗ったのか、昌幸は村人たちに、自分たちよりも敵の数の方は正面からぶつかっては勝ち目がない…などと話し始めるのですが、やがて目がうつろになり、ふっと黙り込む。

昌幸は、2000人3000人を率いていた自分が、20人の村人たちに戦術を指南するという虚しさに打ちのめされたように…。

●父親から話を引き取った次男坊が、

秀吉様の命令で自力救済(自分で争いごとの決着をつけること)はすでに禁止されている、村同士の諍いで死人が出たらどっちの村長も磔だ、喧嘩はやめて浅野のお殿様に話を持っていくように、

とあっさり捌くのは、さすがの豊臣官僚でした。

●しかし、昌幸を見つめる信繁の目がすでに介護人の目になっていて、まさか真田幸村が介護とか・・と思うってしまってちょっと笑いそうになったけど、笑えなかったです。はい。

●その頃、本多忠勝公が死去します。

小刀で指を傷つけたことをきっかけに隠居を申し出、そして間も無く死去という伝承の通りの死でしたが、その小刀エピが、信之の息子たち、仙千代と百助に竹とんぼを作ってやっている時、というものにアレンジされていました。

仙千代が稲の子ではなくても自分の孫と可愛がった忠勝公は、光の中浄土に召されるといった趣での穏やかな退場でした。

●徳川四天王は、酒井忠次は1596年、井伊直政が1602年、榊原康政が1606年、本多忠勝が1610年と、関ヶ原と前後して死んでいくんですよね。主君を残して。

忠勝公から隠居を願い出られた家康が、すごく寂しそうにするの、萌えたわー。主従萌えだったわー。

二条城の会見

●という感じに、かつての戦国武将たちが老い、この世を去っていく中、秀吉の遺児・秀頼が登場します。

これがまあ秀吉というより、織田信長・浅井長政を彷彿とさせる、颯爽とした美丈夫(になりそうな美少年)なんですね! 織田と浅井の血がいい仕事した!!

文武に優れた美貌の、カリスマをも併せ持つ少年に、豊臣家の家臣たちが「これがうちの殿下♡」と浮き足立つのがすごくわかる。これは期待するわ。

●しかし、希望の王子様・秀頼公を家康と会見させて、豊臣家の扱いをもちょっとよくして欲しいっていうのはどうなのか。

単に自慢の若様をドヤ顔で老骨に見せびらかしたいだけではないか。

いや分かるけど。

●というわけで、加藤清正と片桐且元は家康公に秀頼公との会見を申し入れます。

●ヤスさんは、秀頼が二条城に出向いてくること、会見は二人きりで行うこと、などと条件をつけてそれを了承。

ヤスさんが自分の城である二条城での会見にこだわったのは、こう言う場合、迎える方は格上、訪ねる方は格下になるからですね。

徳川方の目論見としては、豊臣家を従わせたということにしたい。豊臣方としては、徳川は豊臣の臣下であると世に知らしめたい。

当然のことながら清正は家康の申し出に難色を示すんですが、秀頼の方が些末事にこだわらなくてもいいと切り捨てます。まだ若い秀頼に怖いものはありません。

むしろ圧倒的なカリスマで、家康を平伏させてしまう。

ここは別エントリで詳しく書いたのですが、家康を凌駕しうる秀頼公、家康が本気で徳川のために殺さなければならないと思う秀頼公、というのを大河で初めて映像化したと思います。

関連リンク 「昌幸」表裏比興のやんちゃ親父が去り、中川秀頼が来た。

江の時の大賀くんも素晴らしい秀頼公でしたが、相手の家康を演じたのが北大路欣也さんだったので、秀頼が家康を凌駕する、という感じではなかった。

ただ若さという一点で、家康が不安を感じた、という描写だったと思います。

ここは大河史に残る秀頼公の名シーンでしたわ。マジで。

●しかし、思わず「ははーっっ」とやってしまった方も、平伏しているだけでありませんでした。この秀頼はあかん秀頼、とさっさと判断した家康と正信の黒狸コンビは、豊富家を滅ぼすと決めます。至極、あっさりと。

●そして秀頼の前に、加藤清正が服部半蔵(ドラマ中2代目。実際は4代目)によってサクッと暗殺されてしまいます。合掌・・・

徳川に二度勝った唯一人の男

●九度山村ホームドラマパートでは、長男のいじめ問題が勃発しています。

「罪人の子」と罵られたとショックを受ける大介くんに、信繁は「いや父は罪人じゃなくて流れでこうなった」「徳川に二度も勝ったのはうちのじじ様だけ。お前にはその血が流れている」とか、いまいち難解な慰めの言葉をかけます。

信繁はそう思ってるし、一面の事実なのですが、大介にはわからない・・

●そんな大介に「喧嘩に卑怯もクソもあるか!勝ったもん勝ちじゃ」とマイルールを披露して、指の間に小枝を挟む戦術まで教える昌幸じぃじの、ブレのなさがすごいです。

●ちなみに、信繁くんもその戦法は教わったそうですが、信幸に止められたそうです。真田親子は子供がごくごく小さいうちから真田親子だったっていう。

●などと感慨にふけっていたら、昌幸公が胸を押さえて倒れて込んでしまい…

主君の元へ

●昌幸は死の床に着いたことを悟り、自身が書き溜めてきた兵法ノートを信繁に渡します。

●そしていずれ豊臣と徳川の戦が起きることを予言。信繁には豊臣方に就くことを命じます。

●昌幸はこの10年、徳川を倒すためにはどうしたらいいかを考え続けてきたといい、その秘策を信繁に話し出すのですが、

まず尾張を攻め、京都に撤退し、籠城し、徳川を疲弊させる。
全国の徳川に不満を持つ大名が立ち上がれば、徳川は引かざるを得ない。

という、昌幸らしい、というか犬伏で披露した、信濃に篭って戦で両陣営が疲弊するのを待つという得意の籠城戦の発展系に過ぎないのでした。

●しかし信繁はその作戦を真剣に聞き、父上なら可能でしょうが、果たして何の経験も実績もない自分にやれるのでしょうか、と昌幸に問いかけます。

昌幸は、わしの戦術に経験なんて関係ない、兵をカタマリと思うな、一人一人が生きて、思いを持っている人間だということをゆめゆめ忘れらるな、と自身の兵法の肝を愛息に授けるのでした。

●最期の時、昌幸の耳に響く、蹄の音、嘶きが、遠くから駆け寄ってきて、足を止め、遠ざかっていく。

最期の言葉は「御屋形様」でした。

生涯慕い続けた信玄公の下に、昌幸は帰還したのです。

清正公が守っていた言葉

板部岡江雪斎・本多忠勝・加藤清正・真田昌幸の4人が退場しましたが、それぞれに趣向を凝らした退場となっていたのが大変面白かった。

清正の死は暗殺説採用でさらっとあっさり描かれたけど、あの死ぬ気が微塵もないようなふてぶてしいパイセンが、無念だったろうなあ・・と手を合わせたい気分になったりして。

そして、石田治部が沢山蟄居の折、虎之助に託した言葉が明かされる→退場というコンボでもありました。

この謎が、関ヶ原以降の私たちを前に引っ張ってきてくれたという一面はあると思う。

予想通り「秀頼様を頼む」で本当に治部、お前ってやつは。少しは奥さんや子供達のことも慮ってあげてくれよな…(T . T)

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