真田安房守被害者の会 List 10・石川数正 殿

天正13年11月13日、主君・徳川家康の元から突如として出奔。

徳川家の軍事機密をまるっと管理していた石川数正出奔は、徳川家にとって大事件というか大ピンチ。なぜ家康の懐刀だった数正が突然出奔したのか、その理由は未だに定説を見ないのだけど、真田丸においては「真田信尹の調略によって」ということになった。

家康公が数正調略は「真田安房守の考え」的なことを言っていたので、安房守被害者の会に数えておこう。一応。

悪魔のイケボに唆されたおじさんは、のちに意外な形で主人公の前に現れる。

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画像転載元:nhk公式サイト

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家康を支えたチート家臣

徳川家康の今川家人質時代から近侍として尽くした石川数正は、真田丸では↑↑↑↑の通りの慕わしいおじさんとして描かれた。

しかしその実態は、実は軍事・外交・領国運営、なんでもよくできる超一流のチート家臣でした。

仕事ができるだけでなく、忠義にも篤く、三河一向一揆が起こると宗旨を浄土宗に変えて家康を支えるというイケメン対応。

己の無骨を誇る三河武士の中にあって、柔軟で視野が広く、有能な石川数正は、今川家・織田家など有力大名との交渉役に任じられ、本能寺の変後は台頭してきた羽柴家との交渉役も任されることになります。

ところでこの交渉役(取次)というのが、実は大変微妙な仕事なのですね。

交渉相手と主君がうまくいっている時は両方から大事にされますけれど、双方の利害が一致しない時には主家での立場を失うことにもなりかねない。

第一次上田合戦の頃、徳川家は東国への侵攻を開始した羽柴家と敵対関係にありました。

真田信尹と、(そして家康の言葉通りなら)兄・昌幸は、徳川家と羽柴家の間にあって、最も苦労し、メンツを失っているであろう石川数正に目をつける。

そして、数正と同じ立場の信尹が、数正を調略して羽柴家に出奔させる。しかも拘束されている牢屋の中から。

信尹と昌幸の真田アダルター兄弟の無双感が極まった感のある、実に凄みのある調略の被害者が石川数正殿なのでした…。

素直さが救いをもたらす

徳川家の軍事機密を知り尽くしていた石川数正の出奔は、徳川家康を震え上がらせます。

羽柴秀吉という新しい強力な主人を得たものの、旧主を慮って表に出ることはできなくなってしまった数正も大変後悔する。

そんな数正は、徳川の刺客から逃れるために京都に匿われ、呑んだくれていたのですが、上杉景勝のお伴で上洛してきた真田安房守の次男坊と思いがけなく巡り合ってしまいます。

数正は源次郎に対して「殿を裏切ってしまった。真田のせいで。真田のせいで」と半泣きになりながら詰め寄り、絡まれた源次郎の方は「そんなことを言われても」と唖然とします。

唖然としながらも源次郎は様々に思いを巡らせた結果、「しょうがないですよ、もう裏切っちゃんですから。石川様、前に進みましょう!」と数正を励ます。

数正と同じように、心の中で運命に対して不満を燻らせていた源次郎が、似たような立場の数正に出会って状況を整理する。

数正もまた真田の次男坊が真摯に自分に対応する言葉を聞いて、いろいろあったけどもうどうしようもないんだ、ということを悟る。

家康より10歳年上の数正はこの時50代半ばで、対する源次郎は20歳そこそこの若者なのですが、数正は年若い、しかも自分を陥れた男の親族の言葉を素直に受け入れて、前に進むことを決める。

この柔軟さ、素直さが数正を救います。

数正をただの仕事のできるチート家臣とせず、むしろ可愛らしいおじさんに造形していたからこそのシーンで、役者さん・演出・脚本、すべてが神がかっていました。

数正は小田原征伐ののち、信濃松本藩を与えられ、10万石の大名となります。石川家は子の康長の代に改易されてしまうんですが、数正・康長親子が整備した松本城は今でもその雄大で美しい姿を残し、天守は国宝に指定されて石川数正の名を歴史にとどめたのでした。

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