真田丸 第三十七回「信之」レビュー〈1〉関ヶ原の敗戦処理が始まる。本多忠勝の恫喝嘆願。

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勝負に勝って賭けに負けた昌幸・信繁の真田親子の敗戦処理回です。

前半は、長男・信幸の奔走が主に描かれます。

ピュアで情に厚い猛将且つ名将・ライダーホンダム本多忠勝を藤岡弘、が演じた説得力がすごかった。本物かと思うばかりの迫真性でした。

というわけで、前半レビュー、行ってみましょう。

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関ヶ原後

●関ヶ原の合戦が1日で決したことは、信幸の元にも伝えられます。この時信幸は砥石城に篭っていたのかな?

10万の軍勢がぶつかった未曾有の大戦がたった1日で決したことに、信幸もまた驚きます。

「大殿と源次郎さまはどうなるのでしょう」という三十郎の問いに、返答できない信幸。

多くの人の目論見通り、関ヶ原が長引いていれば、勝ち馬に乗り換えるとか、うやむやにするとか、そういう手の取りようもあったのに、あまりにもあっという間に決着がついてしまったために、特に真田の東軍への心象は最悪なんですよね。

●昌幸の方は諦めがつきませんで、信濃に残った徳川勢力に自ら奇襲をかけて潰して回ります。

大将として自ら出陣するのは常に最後の最後であった昌幸が、槍を取って敵兵を討ち取る。パパの激しい焦燥。

大坂城に家康が入ったとの報を受け取った信繁が、勝敗が決したこと、これ以上の戦闘は無意味であることを強く意見して、昌幸をなんとか止めるのでした。

慟哭の代わりに、床を叩きつける昌幸。

内記、茂誠、佐助らが、悔しさ・痛々しさに耐えない顔で、大殿を見つめます。辛い。

西軍大名たちの処分

●9/27、家康公大坂城入り。その六日前に石田治部が徳川軍に捕縛されています。

天正十年並みにことがあっという間に起こり、進んでいく慶長五年(1600年)。

●真田家は信幸を通じて、徳川方に降伏を申し出、上田城を明け渡すことになります。

しかし、治部の処分も、西軍大名たちの処分も決まっていないからと、家康は真田家については後回しにします。

まあしかし、日本を二分した合戦の処分をちゃんとできるところも徳川の凄さで。

●上田城受け取りは「倅で良い」という家康の言葉に正純がやいのやいの言ったせいか、平野様が担当になります。真田方で対応するのは信繁で、かつて秀吉・秀次に共に使えた二人がこうして敵味方に分かれて対峙するのも時の運と言いますか、流れと言いますか。

真田親子の当面の処分を読み上げたのが三十郎で、微妙に声が震えるのがとても辛かった。信濃編〜大坂編の明るくも空気読めない感じの三さまに、こんな辛い場面が用意されていようとは。視聴者も辛いですよミタニン。

紆余曲折の果て、どのような立場で誰と対峙するかわからないのが武士というもの。

いやわかってるよ!でも辛いよ! よよよ。

舅殿と大坂へ

●信幸は父親の命乞いのために大坂に行き、家康公に直談判することにします。信幸の決意を聞く、稲とおこうさんの悲痛な表情。

●そこに稲の実父、本多忠勝が大坂から駆けつけてくるんですね。真田安房守を追い返したという活躍を聞いて、娘を労いに。

忠勝は、娘だけでなく父弟を敵に回した信幸のこともいたわります。空気がちょっと読めないけど、いいお父さんです。

しかし信幸は、徳川の家臣である忠勝に対して、敵味方に分かれても親子・兄弟を見捨てることはできない、親を救うのは子の務め、と決意をあらわにします。

最初は殿を裏切った真田親子は許せないモードだった忠勝ですが、相変わらず婿殿のきっぱりした決意に弱く、なんと一緒に家康に真田親子の命乞いをしてくれることになります。

この忠勝の、自分にはっきり意見してくる婿にものすごく弱いモード、いつもながらおもしろいです。

あまりにも周囲に恐ろしがられてしまい、微妙な扱いしか受けてこなかったんだろか。とか。とかとか。

上田城明渡し

●上田城は明け渡され、真田親子は城の一室で蟄居させられています。監視役は付いていますが、娘夫婦が来れば面会させてもらえますし、扱いはそれほど厳しくなくて、視聴者としてはホっ。

●娘の松の方はそういうところの感性が鈍いというか、楽観的というか、空気が読めないのは相変わらずで、徳川方の監視に囲まれている中で、「関ヶ原に参戦したわけじゃないし、あっちが勝手に負けたようなもんでしょ?」とか言ってしまう。

いやいやw 姉上www これには同席していた真田の男たちの方が気まずくなってしまいます。

でも、一人前になった息子たちには、あまり父親らしい顔を見せなくなっていた昌幸パパが、珍しく父親らしい風情で「いいからもう帰りなさい」「茂誠、松を頼むぞ」と言うの、良かったですね。

そして、松姉さまのことなどを思うと、家を二つに分けて被害を最小限に抑えたの、本当に正解だったと思いますね。

●昌幸と信繁は夕餉を共にしながら、今後のことを話し合います。

信繁は、領地召し上げ・改易は免れないだろう、我らは浪人となるでしょう、とかなり具体的に事態を予測します。

敗戦処理も主に担当しているのは信繁で、かつて政権中枢で武家政治というものを見てきた彼はこういう時に淡々と対処する術を身につけているのですね。

一方の昌幸は、いまひとつ実感がわかないようなふわふわとした様子で・・

しかしそんな二人の深刻なシーンにも、昌幸「おおい、白湯くれ」→大井殿「どこかでお会いしましたか?」とか、昌幸「信長が生きていた頃が一番楽しかったのう」→視聴者「そうだろうな!!」(全力で)とか、幕間狂言がちゃんと入る真田丸が大好きです。

命乞い

●大坂城に乗り込んだ信幸は、家康公に面会が叶い、直接父親の助命を訴えます。

面会が叶ったのは本多忠勝が同行していたおかげで、忠勝がいなかったらまず間違いなく門前払いだったはず。

●ヤス(家康公)の昌幸に対する怒りは深く、真田親子には死んでもらう、と信幸を冷たくあしらうのですが、それを本多忠勝公が、

「もし真田親子の助命が叶わなければ、婿殿とともに上田城に立てこもり、徳川相手に討ち死につかまつる」「平八郎は本気でございます」と、

とんでもない勢いで恫喝します。

●これにはヤスも驚きますが、平八郎の必死の懇願に、弟分の我儘を聞く兄貴の顔になったヤスさんは、「しょうがない」と聞き届けてくれるんですね。ここしばらく大狸化していたヤスさんが、久しぶりに慕わしかったです。

●ところで平八郎の言葉に「なんで俺より過激派なの!?」「上田城に立てこもる!?」と顔に全部書いてあった信幸兄上は可愛いです。

●というわけで、真田親子は刑死を免れることになります。

そのかわり、信幸は父親との縁を切ることを言い含められ、その証に昌幸から与えられた自らの名の幸の字を捨てることに同意させられます。

「幸」は、真田家の本家筋である信濃の名門、海野(うんの)家が用いてきた通字で、父祖からから受け継いだ誇りある名前を捨てさせられるというのは、武士のアイデンティティに関わることでしたから、信幸は血を吐くようにしてそれを承諾します。

●代々受け継がれる名前、文字に、この時代の武家がどれだけ思い入れを持っていたかを表すエピでした。文字の呪力、名前の呪力、正統性の継承、主従の絆、いろんな意味があった武士の名前について、取り上げたのがすごく良かったですよね。

●この時に信幸が捨てた幸の字を、後年、松代真田氏が藩主の通字に復活させるのも、真田家の執念深さというか、誇り高さというか、いろいろ感じさせてくれて面白いんですよね。

というあたりで〈2〉に続く。

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早々に増刷がかかったそうで、めでたい。

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