真田丸 第三十五回「犬伏」レビュー〈2〉犬伏の別れ。

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さて後半は「犬伏の別れ」の綿密な描写になります。

細川ガラシャの死によって一気に事態が進むのですが、真田家は東国の大名であったが故に、徳川との合流を前に西軍決起を知ってしまう。

もしこれが合流後だったら、迷う余地はないわけです。

さてどうするか。レビューしてみましょう・・と言っても、実は後半はほとんど犬伏の別れでレビューの余地もないんですけど。

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魂を込めた書状

●細川忠興の妻が石田方にとらわれるのを嫌って死んだ→石田方に殺された、となるのは明白で、これが知られると日和見していた大名が徳川方に着く、と判断した大谷刑部は、

「魂を込めて」一人一人の大名に異なる書状を書きます。

祐筆は使わない、勝敗の運命を分ける手紙は、戦場で満足に働けない自分が命をかけて書く、そして大名たちに迷いを与えないために一刻も早く。これが自分の戦いだと。

痛みで筆を取ることができず、刑部が口述し、石田治部が代筆することになるのですが、二人は夜を徹して書状を書き切ります。

「これで勝った」という大谷刑部を石田治部は抱きしめます。

大事なのは勝敗じゃないのよ。

信じることのために、自分の出来ることをやりきったかどうかなのよ(泣いてる)。

佐助の移動距離

●大谷刑部の手紙を託された佐助が、下野国の佐野に布陣していた真田軍に追いつきます。

さてここでいつものGoogleマップを見てみましょう。

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大阪城公園→犬伏薬師堂 調べです。名古屋方面経由で511km。

1日あたり113.5kの移動になります。

ちなみに、沼田→聚楽第は447km、4日で移動したとなると、1日あたり111.75kmなので今回の方がやや移動距離が伸びている。

佐助が、以前、自分とこの主君たちに沼田→聚楽第を4日で行け3日で行けいや2日だと工数を勝手に縮められたことを学習して、余裕を持って大谷刑部に日程を申請したと思う人が多かったようですが、そうではありませんでした。

佐助もまた成長しているわけです。

●さて、佐助から挙兵の知らせを受け取った昌幸は「早すぎるわ!」と激昂します。

●徳川が上杉攻めを行えば、裏切って横合いから挑みかかれば勝機は十分にあり、徳川家康の首が取れれば、混乱に乗じて江戸に攻め込むのも容易かった。

しかし治部らの挙兵の知らせを受けたら、徳川家康は上杉攻めを行わず、西にとって返すだろうと信繁は読み解きます。

真田の勝機は消えました。

discussion

●というかむしろ、徳川vs豊臣が明確になってしまい、天下取りに関係ない大名の大半が、どちらにつくかで今後の命運が変わってしまうというピンチに陥ってしまいます。真田家も例外ではありません。

●3人は伝説の通り、犬伏の小さなお堂にこもって今後の対策を話し合うことに。

●パパ幸は、徳川につくのも豊臣につくのも嫌なもんで、

上田に戻って籠城する。攻めてきた奴らが敵。
何年でも頑張って、周囲が戦に疲弊したら打って出て、甲斐・信濃を取り戻す!

と、やや壊れ気味。思考を放棄してますね。

●それを信繁が、まず、鎌倉幕府滅亡から建武の新政、南北朝動乱に続いた鎌倉末期や室町末期の応仁の乱のようには戦は長引かないのではないか、と昌幸の見通しを冷静に否定します。

戦国末期となると、兵・農が分離し、専任兵の増加によって練度が上がり、農繁期・農閑期に関係なく戦争ができるようになり、戦国時代を通じて各地の勢力が整理されたことで白黒が早く、きっちりつくようにもなっている。

そして、どちらの味方にもつかないということは、どちらにとっても敵ということ。

豊臣も徳川もこの戦に勝った方がより大きな力を手に入れる。

乱世が終わることには変わりはない。もし中立を保てば、敵以上に憎まれることになり、戦乱が決した後、真田の居場所がなくなる。

と信繁は秀吉らの政権運営を見てきた者らしい政治的な判断を述べます。

●どちらかに着くしかないことに昌幸も気がつきますが、どちらが勝つかはわからない。豊臣中枢に近い信繁、徳川の婿である信幸と、どちらの勢力にも詳しいのがいて判断材料に事欠かないために、迷いに拍車がかかります。

●ここで信幸兄上が素晴らしい提案をするんですね。

徳川と豊臣、両方につき、勝った方が負けた方の命乞いをしよう、と。

別れ

●家を滅ぼさないために、親子・兄弟・叔父甥が敵味方に分かれ、両方の陣営で手柄を立てておく、というのは武士の昔からの生存戦略です。

真田丸では、その生存戦略に、必ず勝った方が負けた方の助命を願い出る、という部分に焦点を当てたのがユニークですね。

●そしてこれが戦後の信幸の行動とも合致するのが素晴らしい。

●どういう理由で真田昌幸が西軍に味方したのかといえば、そこに理由はありませんでした。

真田家が生き残るための戦略でしかなかった。

あの時点で東軍と西軍の勝敗の行方は、誰も知らなかった。

どう転んでも生き残る策を取るしかなかったのです。

●昌幸は「良き策じゃ」と信幸の策を認めます。軍略の天才である昌幸が。「お前はクソ真面目でつまらん」といい続けた長男の策を。

●長男次男は、自分たちの生まれた運命を悟ります。勝敗にかかわらず、勝った方についていたものが真田家を背負っていくと。

●最後にまず兄弟が涙で長の別れをし、次に父親と三人で明るく飲み交わします。

父上は史記に書かれた名将のようだ、父を盛り立てるために前漢の武将・韓信の話をして。明るく希望に満ちた別れを、それぞれが演じながら。

泣いた。

他に言葉ないのですが、犬伏はまごうことなく神回でした。

信幸が生き残るための策として徳川・豊臣両方についておく。戦いをやり過ごして命乞いをする。という政治的行動を提案する。

一時的に、徳川と豊臣ではなく、上杉に着こうとしていた真田家は、西軍挙兵により中に放り出される。物語序盤の武田家滅亡の際、北条か上杉かで迷うように。徳川に着くか、豊臣を選ぶかを迫られる。今度は第三の選択肢はない。

これまで徳川・豊臣・自分の夢()に分かれていた真田家の親子三人が、真田家の生き残りという本来の目的に立ち返って、同等の立場で状況を分析し、的確な意見を述べあうの、チート一族として素晴らしかったし、

昌幸が、息子二人の成長に切なさと喜びを両方にじませるのも泣けた。

いいもんみせてもらったわ!っていう犬伏でした。

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