「勝負」過ぎ去った時は決して後戻りしないという残酷なドラマ。

時計の針は前にしか進まない、ということを描く、とても残酷な回でした。

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画像転載元:nhk公式サイト

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遅れて生まれてきた男

徳川家康より少しだけ年下の真田昌幸の不幸は、晴信無双時代の武田家に前半生を捧げ、建設と固定の時代に後半生を生きることになったことです。

戦国ネイティブのオールドタイプ、しかしいざ戦となったら誰よりも輝き、手際よくそして確実に周囲を仕切って勝たせる、カリスマと天才を兼ね備えた真田昌幸がついに墜落するという形で、第二次上田合戦が描かれました。

昌幸は、徳川が差し向けてきた秀忠の軍30000を迎え、降伏すると言って挑発したり、天気が変わるまで時間稼ぎをしたり、生き生きと戦をする。

こういうのが昌幸の考える戦で、パパは楽しくてしょうがないんですけど、悲しいほどに古いわけですよ

まあ予算などなど、nhkのご都合も指摘されているところですが、

第二次上田合戦を真田昌幸と信繁の爽快な活躍ではなく、最新の研究成果を取り入れて泥臭い古い戦として描き、大軍を敷いて一気呵成に決着をつけた徳川家康とは鮮やかに対比をつけるというのは素晴らしいアイデアでした。

正直私にとって真田パートは非常にしんどかった。

実は真田昌幸こそが、「時代に遅れて生まれてきた男」なんですね。

昔を今になすよしもがな

関ヶ原で敗北を喫した石田治部(と大谷刑部)も、昔を今にしようとして叶わなかった者たちです。

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画像転載元:nhk公式サイト(上下とも)

死者に囚われると死ぬという真田丸世界の一貫したルールに従い、二人は破れます。

石田治部で、理解者であり、使役者であった秀吉のいない世に生きることができない飛び抜けて有能で無欲で忠義に篤いけれども、不器用な能吏の哀れな運命を描き、

病によって未来を絶たれた大谷刑部では、病死というものに向かう人をこんなに強く美しく描いた作品自体が初めてで、傑物によるファンタジーではありますが、病気を悲惨ではなく悲劇に昇華させた稀有な例を描きました。

しかし、これだけ魅力的に描かれた治部・刑部の二人を見ながらも、秀吉の死から関ヶ原までドラマで描かれていたのは、前に進む人と進めない人の対比だったなあと思います。

時間の進行という変えようのないものに抗い、過去にこだわる人たちの確実な死。

前に進む人々のえげつないほどの強かさ・力強さ。

それと同時に、時間が巻き戻るかに見えて、決してそのまま巻き戻ったりはせず、少しずつ変化していくという現象もきっちり描かれました。

乱世に戻るかと見せて、乱世には戻らなかった秀吉の死後の描き方の巧みさもすごかったですよねえ。

これから終盤に向けて、きっと「名を残す」ということの意味が描かれると思うのですが、後世からの評価というのが、死にゆく人にとってどれだけの望みになるのかと思うと切ない。

真田家の物語は戦国末期の短い時間に土豪から大名になり、江戸時代を生き残ること、後世に高名を残すこと、両方に成功した稀有な例。

ながく愛されてきた、もともとドラマ向きの素材なんですけど、三谷さんは丁寧に一人一人を描いたり、残酷なルールをきっちり描くことで、一つ物語の格を押し上げて見せました。

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