「犬伏」息子、父を超える。そして父の解放。

子が父を超える、その交代劇をこんなに爽やかに描いた三谷さんのヒューマニズムについて。

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画像転載元:nhk公式サイト

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優しい犬伏

真田丸の犬節は、お互いに想いあった結果の、情ある父越えと家族の別れでした。

これまで、親子のすれ違いが描かれるたびに、これが犬伏への伏線かと何度も思ったけれど、そんなことは全然ありませんでした。

親子兄弟にすれ違いが起こった結果でも、能力・人格といった面で、父親が子供達に劣るようになったとか、追い抜かされたというわけではなく、

ただ環境への適合という点において、子供の方が優れた適合を見せた結果、父親が子供に道を譲ることになったという形での父越え。

成功体験の少ない若いうちの方が環境の変化に柔軟に対応出来るというのは当たり前のこと、越えられる父親に優しく、受け入れやすいと言ってしまうと皮肉めいちゃうんだけど、でもその当たり前のことは決して簡単なことではなく、登場した多くの「父の息子」はそれを果たせませんでした。

それを真田丸は、真田父子が体験した苦労やしょっぱい想いを丁寧に積み重ねていくことで、深刻な削りあいなしに、軽やかに優しく、明るく描く。

脚本家のすべての登場人物への愛というか、人間への透徹した、けれども優しい視線を感じました。

というか現代劇の父-息子関係が削りあいすぎとも言えるかもしれない。

父と子の物語

現代劇で、父と子の関係があまり良くなく、父を越えるということがあまり描かれないか、描かれる場合は大変深刻に描かれるのは、多分現実の反映なのだろうと思うのだけれど、今回「犬伏」を見ていて面白いと思ったのが、今私たちが生きている「戦後」と呼ばれる現在は、環境や価値観の変化への対応の失敗を個人の責任にされない時代なんだなあ、ということです。

いやもちろん失敗したら当人が一番苦しみ、場合によっては死ぬのですが、そういう人が多くならないようシステムとして救うという方向性にコンセンサスが取れている。

その代わり、同調圧力の強い息苦しい社会になっていて、それはそれで大変なのですが(システムを責める人たちは、何を以って責めているのか、ということはよく考えますね)。

適応できないと即ち死ぬみたいな乱世は、やはり大変だし、それは嫌だなあと多くの人が考えた結果、このシステムになってるんですよね。

その後の父の物語

それともう一つ面白かったのは、息子が一人前になり、息子に道を譲った父親が個人として解放されちゃったことです。

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画像転載元:nhk公式サイト

裏切るわ、寝返るわ、悪魔のように好き放題やってた信濃時代の印象が強い昌幸ですが、豊臣政権下の10年は不本意な臣従を耐え抜きました。

領主・家長としての責務を果たしてそうしてきたわけですけど、その昌幸の子供を守る親という立場からの解放(昌幸が親という立場を忘れることは決してないですけど)と、豊臣家臣という立場からの解放(は阻止されちゃったわけですけど)が動乱を前になされる。

そして昌幸本気の第二次上田合戦へ…という流れはしびれましたね。

昌幸パパは歴史に「真田昌幸」として名を刻みつけるお仕事を今、これから行う。

信幸が信之に近づき、信繁が幸村に近づいていくように、昌幸も真田昌幸になるんだなあと思う私はパパ幸が大好きです。

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真田信之 父の知略に勝った決断力 (PHP新書)

9/16発売です。これは書評したい。

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