「挙兵」共有、成熟と余裕、理解。ずっと見たかった直江状エピ。

日本史上もっとも高い煽りスキルを有するテキストと、耳に心地よいイケボ、家康公の反応が期待通りに面白かった真田丸の直江状エピ、素晴らしかったですね。

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画像転載元:nhk公式サイト

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時代の嗜好

コメディ部分を大切にしてきた真田丸というドラマにあって、直江状まわりのエピソードをこのように表現したのは当然…のように思えるかもしれないけれど、でも私的には、これまでの大河ドラまでの直江状の扱いから見たら画期的に思われて、びっくりしました。

直江状は、家康の挑発に乗った上杉家の失策としてさらっと流されることが多いエピソード。

つまり、挑発したのに負けてかっこ悪い、みっともない、という捉え方が主流でした。

我慢に我慢を重ねていきなりブチ切れ、秘めた実力で大勝利→かっこいい

という嗜好の文化においては、あんなに派手に挑発しておいて負けちゃう直江状は受け入れ難かったのだろうと思います。

(※という作品をたくさん見てきた昭和生まれ)

煽り、という行為自体への嫌悪感もあったと思う。

つまり時代的の嗜好と直江状の面白さがこれまでなかなかマッチしませんでした。

共有、成熟と余裕、理解

それが今は直江状そのものが大受けするように。

その背景を直江状のごとくくどくどと考えてみるに、

まず、戦国末期の大名たちに対しての知識が共有されるようになり、信玄・謙信は偉大だったけれど後継ぎはみんなダメで国を滅ぼした、というような素朴な認識からは多くの人が卒業しつつある。

まあ現実的にはまだまだなんですけど、そういう人がかなり増えたことで、多様な表現が可能になったという事情は確実にある。

それから、敗北というものに対して寛容になった。

様々なことが要因が積み重なった結果として相対化して考えるだけの余裕を社会が持つようになり、敗北がどうしようもない挫折・失敗ではなくなった。

また、テキストを書くという行為がごく普通のことになり、論理性が重視され、情動性というものが評価されない社会になった。

それらの結果、直江状の面白さそれ自体がシンプルに理解されるようになった。

のだな………と、34回を見ていて思いましたですね。

直江状の魅力

つまり、謙信公の時代と比較しての上杉家の凋落であるとか、関ヶ原の結果であるとか、そういう「状況」から離れて、残されている直江状のテキストそのものが評価されたり、面白がられるようになりました。

直江状の面白さって、やけにくどくどしくて嫌味ったらしい文体と全く隙やおもねりのない煽りのスタイルの融合ですとか、ああいう文章を書くにはものすごい知性を必要とするのに、出来上がったものは重箱の隅を突くようなお小言テイストっていう意外感とか、いろいろありますけど、あれを多くの人が普通に理解して面白がっていることが、もう凄い。

知力の塊みたいな直江兼続が、知性を駆使して権力者に喧嘩を売ってみたら嫌味と小言と煽りの応酬になったというのもたまらない魅力だし、

それでいて、あの怒涛の嫌味と小言の中に、武士の矜持というものもがっつり組み込まれていることもちゃんと理解されている。

「煽り」というパフォーマンスが文化の型として広く成立していることもすごくて、書いた人の精神や相手の反応やオチも含めてすごく冷静に相対化されるには、どれだけの成熟を必要とするんだろうかって思いますね。

真田丸の場合は、みんながぼんやりと持っていた直江兼続のイメージを映像として具体的に成立させた村上さんと脚本がまずすごいんですけども、演出もそれをすごく理解したものに仕上がっている。

今では、清らかで真面目な上杉家が決して滑らないギャグ要員となっている現実まで合わせると笑わないわけにはいかないww

…という、社会的な要素と、真田丸独自の事情が重なって生まれたシーンが「爆笑直江状」だと思うのですが、いかがでしょうか。

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