真田丸 第三十回「黄昏」レビュー〈1〉衰えの進んでいく秀吉。熟れた柿が落ちる前のような緊迫。義を貫こうと苦しむ信繁。YAZAWAはぴんころ。

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前回に続いて、秀吉の老いがますます進んで行く第三十回です。

老いは進むのですが、秀吉が生きているうちは誰も何もできない。崩落を前にジリジリした空気が登場人物を包みます。

そんな中、中の良かった真田兄弟の道も分かたれていく。切ない。無性に切ない。

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地震から始まる不協和音

●慶長伏見大地震。マグニチュード8とも言われるこの大地震で、伏見は甚大な被害に襲われます。大阪に滞在していた加藤清正がいち早く駆けつけ、民草の救助に当たる姿は、多分熊本地震への被害者に向けてnhkからの粋(?)な応援メッセージですね。

撮影と放送のギャップは普通3か月なので、当初の予定からあったシーンなのかどうかはわからず。

でもこういうのをちゃんとやるって大事だよな。

●で、秀吉はこの地震のダメージによって、心身の衰えが一気に進みます。

衝撃もあるでしょうし、生活が変わったとか、いろんなストレスが重なってきますからそれはしょうがない。

しかし、そのために伏見城は戦のための城ではなく、秀吉の新たな住居として急いで再建されることになり、せっかくやる気を出したパッパは城の普請から外され、堀の普請に回されることになります。

三成は当然のことながら、バッサリ通告するのみで後フォロー一切なし。

昌幸は豊臣政権にいいように使われる立場に心底がっかりします。

●独裁者が老いたために物事があるべき姿に進まず、関わる人たちのやる気が削がれていく。これを放置しちゃうのは、みっちゃん(だけとは言わないが)の失策だと思います。

こういうのを見ると、今上陛下が生前退位のためにいろいろ動かれるのは、本当に正しい姿だと思いますね。

バテレン追放令

●文禄5年(1596年)、マニラからメキシコを目指して太平洋を横断していたスペインのガレオン船、サン・フェリペ号が土佐に漂着します。

長宗我部元親がこれを保護して秀吉に報告すると、秀吉は彼らを助ける代わりに70万石に及ぶ積荷を全て召し上げることに。理由は「地震で物入り」だから。

とはいえ、いかに天下人といっても、秀吉の気分一つで莫大な積荷を全て没収することはできません。というか、秀吉自らそれを禁止する御触れを発してしまってます。

そこで、秀吉はバテレン追放令を利用することにします。この頃、秀吉はキリスト教の布教を禁止していましたが、南蛮貿易が莫大な利益をもたらすことから徹底されてはいませんでした。

それを急遽徹底することにしたのですね。

●しかもただ追放するだけでは手ぬるいと、耳削ぎ・鼻削ぎ・市中引き回しの上磔を命じます。

これは秀次の時と同じパターン…自分のやろうと思ったことがすんなりやれない時に、残酷な報復するという秀吉の良くない癖の発揮です。

こういう計算は相変わらずパパパっとできちゃう秀吉。

三成はもう秀吉を止めず、悲しそうな目で秀吉を見つめるだけなのでした(陣頭指揮に当たった三成は犠牲を最小限にとどめるために腐心します)。

●こうして、バテレン追放令が強化されることになり、京都・大阪で活動していたカソリック宣教師たちは全て捕縛されてしまいます。きりちゃんの通う細川ガラシャ邸でも信者たちが大ショック。

まだ信者になって間もない大工の吉蔵は、パーデレたちのお世話をしなければ、飛び出してしまいます。

きりちゃんも吉蔵を止めます。しかし吉蔵は「体は死んでもここは(魂は)死なないから」と言い残して…(きりちゃんにも呪いが………)

●この時に捕縛され、長崎で磔に処せられたて殉教した教徒さんたちは、日本二十六聖人としてカソリックで列聖され、その遺骸は世界各地で信仰されることになります。

その中にフランシコ吉と呼ばれる日本人大工が含まれていたことは、皆さんご存知の通りです……。

秀吉の病状

●様々な秀吉のやらかしから、徳川家康は秀吉の耄碌がだいぶ進んでいることを察します。

できれば現在の秀吉の本当の状態を知りたいという家康のために、昼寝ブラック正信さんがあちこちに探りを入れることに。

●そのうちの一つが信幸の嫁、稲姫の元に届く父親からの書状ですね。

稲姫が徳川からの間者であることを知るおこうさんは、それを片手でぞんざいに稲姫に突きつけます。かっこいい!でも妊婦二人の対決は見た目が異常にシュールでワロタ。

●そしてもう一つが、昌幸が入れ上げる遊女・吉野太夫ということがここで示唆されます。出浦昌相がさりげなく二人の間に割って入り、吉野太夫を見つめます。

再び唐攻めへ

●慶長の役の講和折衝のため、大坂に明の使節団がやってきて秀吉に謁見します。秀吉はこれを明が降伏したものと思い、上機嫌で明に与えられた金印を大名たちに見せびらかします。単純なプレゼントと勘違いしたんですね。

しかし、明からの書状には「爾を封じて日本国王と為す(お前に王位を与えて日本国王にするから)」という一文があり、秀吉はこれに激怒します。

「明に認定されるでもなく、わしは日本の王なんだけど」

最新の学説を取り入れることで有名な真田丸ですが、ここは通説を採用ですね。

この時の明の皇帝は万暦帝と言いまして、歴代明帝の中でもぶっちぎりのダメ皇帝として有名な人です。こんなところで日本と具体的なご縁があるとは(嬉しくない)。

●怒り狂った秀吉は金印を投げつけ、再びの唐攻めを宣言し、そして興奮のあまり大名たちの前で失禁してしまいます。

信繁と三成が急いで拾の失禁とごまかし、秀吉と拾を評定の間からあっという間に連れ出しますが、大名たちに与えた不信は致命的なものでした。

しかし、秀吉が生きているうちは誰もどうにもできず、加藤清正を大将に、再び唐入りが行われることになります。

●清正は出征の挨拶に大坂城で秀吉に面会します。信繁・三成から秀吉の衰えに動揺しないよう事前に言い含められていたのにもかかわらず、清正は、想像以上に痩せ衰えた秀吉に驚き、「わしの死んだ後は拾を頼む」という言葉に泣き崩れます。

動かない手を動かして清正の肩を撫でる秀吉の「老いた父親」感がすごくて、私も号泣した。号泣したよ…!

沼田へ

●信幸はまた朝鮮で戰か、といささかうんざり。ついでにみんなの前で小便を漏らしたのは本当に拾さま? と信繁に探りを入れますが、信繁は決して胸の内を信幸に明かしません。

●信幸は検地を理由に国許に帰ることにします。

もちろん、本当は国許の防御を固めるためです。だんだん兄弟の間で隠し事が増えてきて切ないです。

●信繁は兄を裏切っていることに苦しみ、妻の春にその苦しみを打ち明けます。「わしのようにはなるな」の話です。

「私にはこのような人になりたいと思う人が二人いた。一人は御家のために人の道を捨てた(信尹叔父上ですね!)、一人は御家のために己の信念を曲げた(景勝様のことですね!)。そうならないように気をつけてきた」

という信繁は、今、生家である真田と、主家である豊臣に挟まれて「生きもできぬほど苦しい思いをしている」「義を貫くとはこれほど苦しいものなのか」とぼやきます。

●ここで私が、「え、景勝様のことも、このような人になりたい系のお慕いだったの!!」と飛び上がるほどびっくりしたことをお伝えしておきましょう。

景勝公があんまり慕わしいので、信繁が御屋形様のことをそういう風に考えていたとは全然思いませんでした。

信繁さん、不器用でもいいから誰かに忠実に誠意を持って生きることをしたかったのか。器用な人にありがちですが、人というのは自分にないものを求め憧れるんだなあ。

●沼田に戻った兄上は、沼田城に天守を造ることにし、内記、三十郎、頼綱に協力を仰ぎます。

また戦の時代が戻ってきたと大喜びする、俺たちのYAZAWAこと矢沢頼綱は、床の上で死んでたまるかと張り切った翌朝、床の上で見事な大往生を遂げるのでした。

元気な叔父上を安らかにあっさり葬ってくれてありがとう真田丸><

というわけで、〈2〉へ続きます。

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