真田安房守被害者の会 List 05・北条氏直 殿

父は名門・後北条氏4代目北条氏政、母は武田信玄と正室である三条夫人の長女。

生まれたその時から王子様です。

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画像転載元:nhk公式サイト

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チョロイン

本能寺の変後、明智光秀討伐が終わるまでは滝川を攻めてくれるなという、調子のよすぎる真田昌幸の言を氏直の父・氏政は受け入れて誓紙まで書いて与える。

しかしそれと同時に戦争準備を指示して、明智が打たれたら即座に上野に打って出ることを息子に指示する。

氏直は驚き、表情を失って父に従う…

このように繊細に、初々しく、若き貴公子として登場した氏直が、まさか頭にミキプルーンの苗木を生やした短気なヤンキーとして再登場するとは誰が予想し得たであろうか。

天正壬午の乱における北条の上野→越後攻めでは、遅れて恭順してきた昌幸を「シャー!」っと威嚇し、臣従を拒むなど、遺憾なく肝の小ささを発揮。

なぜか父親そっくりの過剰とも言える高圧プレスがむしろ痛々しかったです。

セリフにこそ表現されなかったものの、昌幸の顔には「若造がチョロくてラッキー」とありありと書いてありましたね。

昌幸は、佐助(たち、出浦様が統率する透破たち)を使って、上杉の兵力は北条の予想よりもずっと多いと偽の情報を掴ませた上、春日信達を謀殺して調略失敗を装いますが、まさに狙い通りに越後から甲斐に向けて氏直を転戦させます。

昌幸はその後はあっさり北条を裏切ると、突然侵攻されて窮地に陥った徳川方に加勢。

氏直軍は、ついちょっと前まで味方だった真田に補給路を断たれてしまうのでした。

家臣たち・国衆たちに舐められてはいけないと肩肘を張り、父親に認められようと必死で頑張る若者など、真田安房守にとってはいいお客さんでしかなかった。

(多分、上杉の次に)

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猫的な「シャー!」に見えて仕方ない。

画像転載元:nhk公式サイト

父に逆らえない息子

真田と後北条は、その後も沼田を巡って揉め続けます。

関東の北西のきわ、越後・信濃・会津を結ぶ沼田は北条の関東支配にとって欠かせない交通の要衝。北条は沼田にこだわり、何度となく矢沢頼綱の守る沼田城を攻めますが、ついに武力では落とせませんでした。

これについては、矢沢の大叔父上がチートだったとか、

犯罪率では強盗よりも詐欺の方が多いとされる相州の兵が、信濃・上野の屈強な兵士に勝てるわけがないとか、

関東の南、豊かな内海に面した暖かな小田原でホワホワ暮らしてた人々に、内陸の沼田は気候的に堪え難かったろうとか、

思うことは多々ありますが、この沼田問題が直接のトリガーとなって小田原征伐が起こるわけですから、北条家は真田の最大の被害者と言っても過言ではない。

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氏直公は、一言で言うならば、偉大な父の前に自分の意見を最後まで通せなかった息子。

18歳で北条家の家督を継ぎ、父親の後見を得ながらの当主修行中だったのだから無理もない。若き当主が自分の意思を持つには、北条氏は安定しすぎていたし、所領が大きすぎた。

しかも、父を超えなければいけない時が想定よりも早く来てしまった。

氏直には、豊臣にどうしても頭を下げられない父親を幽閉するとか、殺してでも北条家を守るとか、最終手段がありましたが、育ちの良さが災いし、そこまでの決断はできないのでした。

対する真田ときたら、氏直様は信玄公のお孫!と小県の国衆の説得のネタに使うわ、春日信達を「信玄公の孫の元で戦うのが、信玄公への忠義!」と調略するわ、散々氏直くんの知らないところで利用しておきながら、本音は「血統なんてノーカン」でした。

奴らは手段など選びません。

氏直に、真田並みの厚かましさがあれば、あるいは…

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それでも氏直は、家のため、父親のために、自分たちを振り回した真田家の次男坊が氏政の説得にやってくると、恨み言を言うことなく、「助けてくれ」と頭を下げます。

豊臣家に敗北し、小田原城を明け渡した後、父・氏政は切腹でもって北条の将兵たちの命を贖いますが、助命され、高野山に流された氏直は、厳しい生活の中から赦免活動を行うまでに成長。

北条氏直は豊臣家の大名として家名を復活させた直後、小田原城開場の1年後に疱瘡(天然痘)で急死するのですが、きっと前年の小田原征伐→高野山追放と、心身をだいぶ損なっていたせいだよね。

享年30歳。

なおこの時、氏直が復活させた北条家は、いとこの北条氏盛により河内狭山藩主として幕末まで存続し、明治維新を経て現代まで続いています。合掌。

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真田昌幸: 徳川、北条、上杉、羽柴と渡り合い大名にのぼりつめた戦略の全貌

時代考証の黒田先生のお仕事。

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コメント

  1. 軒しのぶ より:

    初めまして。いつも的確なツッコミと深い考察を楽しく拝読させていただいております。
    この真田安房守被害者リストはいったい何番まで続くのか。
    室賀殿は確実ですし、徳川家も親子共々?入ってきそう。関ヶ原の展開次第では三成もリスト入りかも。
    上杉、北条、徳川と周囲の三大名を被害者にしながら生き延びている真田って何者?

    氏直さまのスタジオパークで知ったのですが。
    NHKBSプレミアムの「2度目の海外旅行」では、氏直さまの中の人が、実に楽しそうかつ美味しそうに世界各地で食べ物やお酒を召し上がっておられて、「ああよかったね、氏直さま」と妙な感慨に浸ってしまいました。幸せそうな氏直王子様を見たい方にはおすすめです。

    • アンチョビ より:

      >軒しのぶさま

      昌幸被害者の会会員は、今の所12人をリストアップしています(みっちゃんはもう入ってます!)。第二次上田合戦次第でまた増えるかも。
      昌幸のようにあちこちひっくり返して回るトリックスター的な人物はやはり面白いですね。
      氏直王子の幸せな姿で私も癒されたい。BSは入っていないのですが、動画配信はないのかしら・・・

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