ノーベル賞を日本人がもらった時、喜んではいけないの?

farmland-768603_640脳科学者の茂木健一郎氏のツイートから。

茂木: たとえば、僕は科学者ですから、ノーベル賞を取った業績の多くを愛していますが、一方でノーベル賞といっても、大したことのないものもあるわけです。だから、日本人がノーベル賞を取ったとバカみたいに騒ぐのは、ずっと不快でしてね。自分たちは何も考えていなくて、どうしてスウェーデンのストックホルムの人たちがノーベル賞だと決めたら、そんなにありがたがるのか、と。

ダイヤモンド社書籍オンライン 「挑戦しない脳」の典型例は、偏差値入試。 優秀さとは何か、を日本人は勘違いしている 【茂木健一郎×ジョン・キム】(前編)

ノーベル賞だけではなく、スポーツなどでも時々似たような文章を見かけます。

つまり、日本人がなんらかの賞を受けたとしても、それはその人個人が受けた賞であって、その人以外の日本人は何も関係ないのになんで喜んでんの?バカなの?っていう意見です。

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祝福って普遍的なことですよね?

この手の意見には裏があって、「日本人が賞を取ったとしても、日本国民全員が優秀ってわけじゃないから勘違いするな」ってことを言いたいんですよね。

勘違いしてる人もいるでしょうが、そもそも名誉を受けた人を祝福することはごくごく普通のことじゃないでしょうか。

日本を旅行中の外国人に聞いたって「おめでとうございます。日本を旅行中に日本に良い事があって私も嬉しい」くらい言うんじゃないでしょうか。

少なくとも私なら言います。

慶事を一緒に喜ぶのはマナーだし、人並みの想像力を持っている人なら、受賞した人やその周囲の人の喜びに共感できる。

国際的な権威ある賞なら、その共感が広く広がる。

それを、日本人が勘違いしてる!ってイライラする方がよっぽどおかしいと思います。

喜んでいる日本人のほとんどが、論文の内容を理解してないかのはその通りだと思いますが、内容を理解して「すごい」と思って喜んでるんじゃないのですよ。

喜びのベースは飽くまで共感です。

それから人間は、たとえ自分が直接得たものじゃなくても、名誉・栄誉といったものにちょっと触れただけでも嬉しくなるものなのです。

これは茂木さん的人間には理解できないことかもしれませんけど。

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それから感謝の気持ち

私たちが祝福するとき、同時に相手に対する感謝の気持ちも含まれていると思います。

ノーベル賞は人類に貢献した人に贈られる賞ですから、同じ国の国民であれば、きっとなんらかの恩恵を、他国の人より早くたくさん受けているであろうと想像できる。

ですから「知らなかったけどありがとう」っていう気持ちにもなりますよね。

受賞者も、ノーベル賞を狙っているわけじゃなくて、人の役に立ちたい、科学の進歩に少しでも貢献したいという気持ちをモチベーションにして、困難な研究生活を送って来たはず。

そういう人が権威のある賞に選ばれ名誉を得たことを多くの人が喜ぶというのも、普通の感覚である気がしてしょうがないです。

一種のベンチマークとしてのノーベル賞

70-80年代の日本は、猫も杓子も教科書も新聞も

「日本は欧米の真似をしているにすぎない。日本独自の技術や科学を打ち立てないとこのままでやってはいけない」

って言ってたんですよー。懐かしい。

戦後の日本は、欧米で発展した科学をベースにしてました。

科学技術も文化もたくさんコピーしてました。物理学などの基礎科学に国が出すお金も少なかった。欧米の豊かさに便乗していたんです。

それで当時の日本人は、日本独自の技術であるとか日本人としての発想を大事にした科学であるとかをとても意識して、努力してました。

国も次第に、地味な分野にもお金を出すように。

今、日本が科学技術に優れた国になったのは、その頃の成果です。日本はありがたいことに、努力で現状を変えられる国なんです。

スポーツの世界でもサッカーやラグビー、男子の体操も、強化したらちゃんと強くなりましたよね。学問の世界でも、同じように強化したらちゃんと強化して、国際的にも評価されるようになった。

わたしは、この「強化しようと思ったら強化できる(やろうとおもったらやれる)」のはすごいことだと思っていますので、何年か毎に日本人がノーベル賞を受賞するたびに、安心します。

まだ自分たちで何かを生み出せる国に住んでいる、という安心感のベンチマークです。

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基礎科学にお金を出せる国は少ない

基礎科学に多くのお金を出せる国は先進国くらいです。

しかし、先進国であっても無尽蔵に富を持っているわけじゃありません。時々ノーベル賞受賞みたいなお祭りがあって、基礎科学にお金を出すのはいいことだねっていう意識を共有し合う。その共有が、研究にちょっとでも多くのお金をまわし、研究者のモチベーションになる…はず。

ですから、私たちは普通にお祭りを楽しんでいいのです。茂木さん的人間からの呪詛は気にせず。

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